ベルリン障害者施設でのインターンシップ開始~1か月経過
12月に入り、ベルリンもすっかり寒さが厳しくなり、クリスマスムードも盛り上がってきました。
寒くてどんよりするけど、ほっこりするライトアップやクリスマスの飾りつけを見るとなんだかワクワクする、そんな季節です。
今わたしはベルリンのとある障害者施設でインターンシップをしています。
10月に受け入れが決まり、11月からスタートし一か月が経ちました。
ちなみに無給です。
有給で一応希望を出していたのですが、やはり私のドイツ語能力の関係で受け入れ先が見つからず、無給ならば、と申し出ていただいたのが今の所です。
それを周囲の人に話すと、えー無いなーという反応も返ってくることもあるのですが、私は無給で大いに良かったと思っています。
その施設はベルリンにいくつも拠点を持つ法人の拠点のひとつです。
その中でも障害のレベルが重めの施設に今私は通っています。
7月にCVを出してから一向に返事が来ず、実はすでに諦めていました。
その時点で、ドイツ社会は当然のことながらドイツ語運用能力が求められるのだと痛感していたため、私の希望は通らないのだと認識に至ったためです。
特に介護分野では、利用者の方とのコミュニケーションおよび職員同士の情報共有が非常に重要なため、ドイツ語は必須です。
そんな中、なぜその施設が私を受け入れてくれたのか、疑問に思っていました。
決して理に適っていない、むしろ負担になるのではないか、と思っていたからです。
その質問をぶつけてみたら、次のような返事が返ってきました。
利用者の方の中には言葉を必要としなくても、十分にコミュニケーションが取れる人がいる。言葉の問題ではなく、心の問題だ。
更に、全く違った文化的バックグラウンドを持つ私を受け入れる事で、施設側にとっても学びになることを期待している。
という事でした。
ドイツ社会においては少し珍しい考え方を持つところだなと思いました。
ドイツで実際暮らしてみて、色んな事を見聞きするうちに、ドイツは実はなかなか保守的な国であると感じるものがあったためです。
ただ、ベルリンはドイツにおけるメルティングポット。少し特別なのかもしれませんが、一般的には、やはり保守的な所は多少なりともあると思います。
何はともあれ、それを聞いてとっても嬉しかったです。
自分にできる事はしっかり報いようと強く思いました。
(後になって、結構空回りしてしまってた事もあったなーと思いますが。日本とドイツの勤務態度はびっくりするほど真逆でした。)
そんな感じで、今は慣れないドイツ語に揉まれビシバシ鍛えられ、前よりずっとドイツ語ができるようになってきました。
と言ってもまだまだですが、ほぼゼロに近い状態から随分進歩したと思います。
一応3か月の約束としていますが、その辺り柔軟なのでいつまでいるかはまだ決めてません。
ひとまず残り2か月弱、しっかり経験して楽しみたいと思います~
チュース!
鬱になりかけて分かった事。まずは身体という乗り物のメンテナンスを!!
久々の更新となってしまいました。
それには理由があります。
先々月となる9月の中頃、鬱を発症しかけました。
幸い重篤になる前に気付いて対応したので、症状を引きずる事はなかったのですが、
精神的に落ち着かず不安を頻繁に感じる状態が続いていたので、なるべくストレスやプレッシャーを感じるようなことは避けるようにしていました。
ブログを書けなくなっていたのはそのためです。
「書かなきゃ」「更新しなきゃ」と思えば思う程、気持ちが追い込まれていくのを感じたので、敢えてブログの事は忘れるように努めていました。
今思えばそういう時期も必要だったと思っています。ちょうど自分を見失っていたので、ブログについてもまずは自分という立ち位置をはっきりさせる必要がありました。
なぜ私は鬱にかかり、どうやって抜け出したのか。
まず鬱についてはっきりさせておきたいのは、
鬱は意外と誰でもなり得る身近な症状です。
だって、私だってまさか自分が鬱になるなんて、と思いましたもん。そういうものからは一番縁のない人間だと思っていました。
上記のサイトの説明通り、
鬱は誰にでもかかり得るもので、(敢えて病気とは言いたくない。状態という言葉を使いたいと個人的に思う。)、その原因も様々です。
ここでは、私が個人的に体感して感じた事を記録します。
鬱になりかけた当時、9月中旬のベルリンは夏から秋に向けて急に気候が変化していた時期でした。
寒くなって、日もだんだんと短くなっていく。秋の切なさをここから感じるかもしれませんね(あの切なさも実は鬱の第一歩の心の変化なんじゃないかと密かに思ったりして)
更に私の住むアパートは1階の日当たりがかなり悪いところで、自分で意識して日を浴びにいかないと日光に当たることができないような場所です。
部屋の温度も低く、部屋で着込んでたまま外出たら外の方があったかい!という事も何度もありました。
身体を冷やしやすい&日の光を浴びない
この条件が揃いました。
更に私はこの時期、お金を節約しなきゃと思い、食費を抑えるようにしていました。
バイト(日本食カフェ)で食べれるまかない以外は質素に抑えるという生活をしており、バイトがない日は適当に食事を済ませるという事も頻繁でした。
ちょうどバイトが無い日が3~4日続き、お菓子を食べてたらご飯もういいやという日が続きました。
脳内神経伝達物質を形成する栄養素の元となる、きちんとした食事を欠いていた。
という条件が揃いました。
体調面では、鬱になる好条件がこうして揃ったわけです。
気持ちの面ではどうだったのか。
この時、ちょうど色々うまくいっていなかった時期+大切な人と離れ離れになって精神的なキツさがかなり来ていた時期で、
あまりオープンになれずに部屋で過ごす日も多いという状態でした。
加えてせっかくベルリンにいるのに楽しめていない自分を責め始めたんです。
きちんとできていない自分を卑下する⇔色んな「やらなきゃ」と思うプレッシャー
こうやって自分を責めるループが加速していきました。
結果どうなったか…
ちょうどメッセージのやり取りをしていた相手に向けて、ちょっと異常なほどの自己卑下とこれまで自分が経験した恨みつらみ(しかもその相手には全く関係ない)をテキストで打って送り始めたんです。
そうするうちに気持ちがどんどん落ち込んでいき、死にたくなるような絶望感と不安感がどんどん襲ってきました。
その相手もまた、鬱を経験した事がある人だったので理解ある対応をしてくれたのですが、相手の言った何気ない一言で、必要以上に大きなダメージを受け、私が大激怒して喧嘩別れしかける事態に。
(後にきちんと話をして和解しました)
絶望した気持ちでトイレに行き鏡を見ると、
自分とは思えないような顔をした人間がそこにはいました。
顔は土気色になり、頬がこけて、その割に目だけが異常にギラギラしている。
「あ、これはマズい」
と感じました。
そこでようやく冷静になり、ご飯をロクに食べていなかったことに気付きました。
ちょうど外出の用事がたまたまあったので、出先でお肉たっぷりのケバブを食べました。
するとあれ不思議、みるみる身体が幸福感で満たされていくのを感じました。
その次の日、近所の公園でパークヨガに参加しました。
じんわりと温かい日光の下で身体をストレッチしていくと、
身体がポカポカしてじんわり汗をかき、気持ちが嘘みたいにスッキリしていました。
こうして、わたしは鬱状態から抜け出したわけです。
ただ、心のダメージはまだ残っていて(これも身体のパターンかなと思うのですが)、
プレッシャーを与えて自分を責めるとまた不安感が襲ってきたので、自分の在り方を根本的に見つめなおさなければならなくなりました。
けれど、結果的には良かったと今では思っています。
私なりに思う鬱のメカニズム
身体と心のバランスは密接に影響し合っています。
どちらかが損なわれると、それはおのずと片方に影響を及ぼします。
今回の私の場合は、まずは身体のバランスを崩して、心のバランスも崩れるという流れでした。
けれど、案外鬱発症の大部分のパターンが身体から始まっているのではないかなと思うのです。
ストレス、環境の変化、季節の変わり目の気候の変化、
これらによって、睡眠不足、食事のバランスが崩れるなどがよく起こると思います。
また、肩こりがひどくなる、身体がガチガチになるのも大きな要因です。
実際私の身体はガチガチでしたし、鬱を経験した友人によるとその時受けた鍼治療がかなり良い効果をもたらしたと言ってました(ちなみにデンマーク人)
身体の循環が悪くなると、身体がしんどくなり、それ自体がまたストレスを生む。悪循環だと思います。
逆の現象が、マッサージを受けた時の爽快感だと思います。
更に、食事を適切に取らないと適切な脳内物質が生成されず、不足します。
薬は即効で脳内物質を補充する手段である
薬も食事も、即効性や由来が違うだけであって、元を辿れば同じです。
身体が鬱ウェルカム状態になってても、忙しくしていたり、何かする事があるうちはまだ大丈夫だと思います。
例えば急にオフが取れたりして何もする事がなくなって、精神的な落ち込みが心の中で目立ってきて、考え込みそれが心の大部分を占め始めると少し危険です。
私はその寸前でヤバイと気付いたと同時に身体の異常な感覚に気付きました。
食事を摂っていなかった事に気付いたのもその一部です。
食欲があまりなかったけど、わずかに感じられる食欲を頼りにお肉料理をしっかり食べると意外とお腹に入って気持ちが落ち着きました。まだ早い段階だったから良かったのかも。
まさか自分がなるとは思っていなかった鬱
誰でもなり得る、
逆に言えば、早い段階であれば誰でも簡単に改善できるものです。
本当に風邪をひいてしまうようなもので、更に言えばひどくなったら医者にかかり、肺炎など重篤になったら入院、みたいなものかなと思いました。
普段から気をつけておきたいこと、
ご飯をバランス良く食べる
量も問題よりも栄養素の問題かなと個人的に思います。私が鬱になりかけた時、まともにご飯を食べていなくて、あまり食欲ないからパンと甘いもので済ませていました。
アミノ酸、ビタミン、ミネラルが大切です。そのためにタンパク質と野菜、果物をしっかり取る必要があります。
更に特に女性は鉄分も不足しがちなので、そこも意識すると良いでしょう。鉄分にもヘム、非ヘムと2タイプあり、ヘムの方がヘモグロビン由来のもので吸収されやすいものです(赤身のお肉、レバーなど) 非ヘムはビタミンと一緒に摂取する事で吸収されやすくなります。
適度な運動やマッサージなどで新陳代謝を
筋肉の硬直と感情の抑え込みの関連について。なんか身をもって納得できます。
身体が凝ってガチガチに固まっているという事は、血流の循環が悪くなっているという事です。
適度に運動する事で新陳代謝が上がり、体調、気分ともに改善します。
私もそんなに運動好きじゃないのですが、日本にいた頃は仕事柄身体を良く使っていたのもあり筋肉はほどほどについていたし、マッサージにもよく通っていました。お風呂も大好きで半身浴は毎日していました。
こっちにきて運動量が減って、お風呂に浸かれず、肩凝りがひどくなりました。足湯をするようにしているのですが、気持ちが落ち込む前あたりからサボりがちでした。
ヨガがすごく良かったので、ヨガに通おうと画策中です。
それと、足湯も再開し、お気に入りのマッサージオイルで凝った箇所を寝る前にマッサージするようにすると、凝りもマシになりました。
心の問題なのか、身体の問題なのか
病は気からとは言いますが、私の意見では病は身体からです。
もちろん気持ちの問題で寝込む事もあります。
が、なぜ気持ちが落ち込むのかというと身体がうまく機能する状態ではないからです。
よく聞く例えでは、身体は自分の心にとっての乗り物であると聞きます。
運転手(心)がいくら運転する気満々でも、乗り物(身体)が調子が悪いとドライブできない。
逆に乗り物(身体)がメンテナンスばっちりでも、運転手(心)に問題があれば、安全運転できない。
身体と心は互いに作用し合っています。
心の問題は解決するのが非常に困難だと思います。
が、一方で身体の問題は心の問題よりもアプローチがしやすいです。
心の問題の解決に当たって、まずは身体の問題を解決する事が近道であると良く聞きますし、私も実感を伴って思います。
言い方を変えれば、心の風邪を負ってしまう前に身体の調子を整える事で心の風邪を防げるとも言えます。
私も含めてですが、多くの人がそれぞれ乗り越えたい心の中の何かを抱えておられると思います。
そのためには、何度も言いますが、身体のコンディションを整えることが必須です。
なんだかんだ健康第一ってことですね!
心の面でも悟った事はあるのですが、それはまた別記事にします。
私のように海外生活の中で心身のバランスを崩される方もおられるかもしれません。
私の体験談が誰かの役に立ちますように。
偶然は必然。私がデンマークのフォルケホイスコーレを選んだ経緯
前回、私がここまで辿った経緯のあらましのみを記事にしました。
hurrahurrahurra.hatenablog.com
これから少しずつ、それぞれの出来事にフォーカスしていきたいと思います。
今回はそもそもの始まりの、なぜデンマークのフォルケホイスコーレを選んだのかについて書きたいと思います。
まず、フォルケホイスコーレについて、皆さんご存知でしょうか??
非常に分かりやすい入門記事はこちらです。
Folkehø jskole(フォルケホイスコーレ)とは、北欧全土に広がる独特の成人教育機関であり、通常の公教育から独立し影響を受けない私立学校群です。
誤解を恐れずに言えば、日本の私立大学などが主催する「エクステンションセンター」や自治体や民間が主催する「カルチャーセンター」、「市民講座」が、寄宿制の学校になったようなものといえるかもしれません。
エクステンションセンターは大学主催のビジネス、カルチャーセンターは民間企業主催のビジネス、市民講座は自治体主催の市民サービスのイメージがありますが、フォルケホイスコーレは、北欧の歴史と文化を背景に生まれ、しっかりとした教育理念に裏打ちされているものであり、北欧の教育文化としてしっかり根付き、様々な影響力をもっています。(フォルケホイスコーレ入門より)
フォルケホイスコーレの特徴を説明すると次のようになります。
*入学資格:原則として17歳半以上であること(学校によっては18歳)
*入学試験:ありません。在学中も「試験」と名のつくものは基本的にはありません。外国人の場合、学校によっては比較的高いレベルの英語力もしくは現地語の能力が求められます。
*成績表:ありません。
*修了証・卒業証書:原則、ありません。資格もとれません。
*寄宿生活 滞在中は他の生徒と寝起きを共にし、教師も同じ敷地内に住まっていることが多いです。
*学費:授業料、寄宿料、食費(1日3食)、その他を含めて、1カ月10万円~15万円が目安。(2015年6月現在)
*科目:人文科学系、芸術・デザイン、体育スポーツを中心として、さまざまなことを学ぶことができます。
*学習期間:原則、最大10カ月(12週、16週、20週、24週などのコースがある。国、学校によって異なることもあります)。(フォルケホイスコーレ入門より)
なるほど!つまり18歳以上であれば誰でもどんな立場の人でも、実社会を離れて自分の興味があることに打ち込め、且つ仲間と共に集団生活を送りながら自分の在り方を考える機会を提供する、国から認められている学校機関ということです。
えー、こんなのどうやって見つけたのーって思うのですが、
これにも経緯があります。
私は20歳ごろから音楽を細々と続けていました。
当時は音楽の知識が無いに等しく、色々悔しい思いをしながら、周りの人の力と独学でなんとか知識と経験を身に付けてきました。
ただ、正規音楽教育を受けずにここまで来た事と、
仕事をしながらの生活で音楽がなんとなく自分の中で中途半端な存在になっていると感じるようになってきたこと、
特にここ数年、音楽と向き合うのが苦しい、でもやめられずにズルズルと引きずってる、という気持ちになってきたこと、
加えて30歳になるに当たって、ワーホリができる最後のチャンスだと思ったんですね。
仕事を通じて色々積み上げてきた自分の中の何かを一度崩してみたくなったんです。
それに合わせて、音楽もやめてしまおうって思ってた。
そうやってやめるって決めたけれど、音楽に対してずっとモヤモヤした思いはずっと消えずにいました。
それで、なんとなく、「音楽」「海外」「教育」ってググることが増えてきたんです。
そんな中で、とある方のスウェーデンのホイスコーレでの留学体験記を読んで、フォルケホイスコーレという存在が自分の中で濃厚になり、本格的にリサーチを始めました。
いろいろな記事を読んでいるとフォルケホイスコーレについて良いことづくめのことが書いてあるではないかー
となり、もうその頃には北欧のフォルケホイスコーレで音楽を学ぶことに決めていました。
今しっかり調べたらスウェーデンのホイスコーレ(スウェーデン語ではフォルクフーグスコーラ)でも良かったなと思うのですが、
なぜかフォルケホイスコーレのことを調べたらデンマークのものが真っ先に上がってきたのと、
入学試験を課せられないという点と、
予算と期間の関係で、
(ドイツのワーホリにも行きたかったので、例えば最低期間10か月のノルウェーは対象外となりました。魅力的な学校はあったのですが…)
デンマークに絞ってリサーチすると相成ったわけであります。
デンマークフォルケホイスコーレととスウェーデンのフォルクフーグスコーラについて良い記事見つけた
これ当時見つけてたらスウェーデンも検討してたなぁ。
ただ、いろんな情報を見て、スウェーデンは学費がかかると思いこんでいたのと(大学は確かに学費を課せられるようになったようです。ただ、フォルクフーグスコーラは違うようですね。情報過多に注意です!)、
英文での志望理由や入学試験が必要な学校もあると聞いたので、(私が行きたいと思った学校はそれに該当していました。)
当時激務追われていた状況を考えると、そういった認識が頭に中にあったためにスウェーデンは無意識に避けていたのだと思います。
でも、学校数はスウェーデンの方が多いのに、なぜデンマークのホイスコーレに行ってる人の体験記が圧倒的に多いのだろう…
と考えてみたのですが、
デンマークのIPCという学校に行ってる人が日本人で多かったからではないかと思いました。
インターナショナルスチューデントが中心の、公用語が英語とされている、フォルケホイスコーレの中でもやや異色の存在であると思います。
ここで、英語を学ぶために日本からも来られている方が多く、リサーチの結果、たくさんデンマークのホイスコーレの記事が上がってきたんだと思います。
少し話が脱線しました。
ただ、今になって思えば、スウェーデンに行くには、少しガチなモードにならねばならないと感じた一方で、
私の気持ち的に音楽に対してそこまでになれなかったのがあります。
自分と音楽の関係を見つめなおすという点で、デンマークほどのゆるさがちょうどいいなと感じて、デンマークのとある学校に決めました。
デンマークの学校を探すのに使ったサイトはこちらです。
英語でのリサーチになりますが、ここから先は英語漬けになるくらいがちょうど良いと思います。
(私はそれでもまだまだ足りなくて、向こうに行ってから本当に苦労しました。)
自分の学びたいジャンルから行きたい学校を絞れ、更に各学校のウェブサイトにアクセスできます。
そこで、自分のやりたい科目にどれだけその学校が注力しているのか、
学校は留学生受け入れOKか(受け入れに積極的でない場合はウェブサイトがデンマーク語のみの場合が多い)、
などをチェックし、更に学校を絞り、そこから選んでいったわけです。
最終的には、
わたしは今こうして修了した学校を選んだわけです。
正直行ってから後悔した部分もありますし、後になってこの学校を選んで良かった!と思った部分もあります。
自分がどんなキーワードでリサーチするのか、
日本語だけでなく、英語でリサーチしたり、更に現地の言葉、またはそのカタカナ表記でリサーチしていたら、また違った情報に巡り合えるかもしれない。
更にその時に自分がどんな状態だったか、
疲れてて気持ちに余裕がなかったり、時間が無くて焦っていて、見落としていたこともあるかもしれないし、
自分の中でピンと来て本当に偶然に良い情報と巡り合うこともあるかもしれない。(私はそうやってリサーチする中で見つけたブログが縁でとても素晴らしい音楽家の方と出会いました。)
カナダ、スウェーデン、ドイツと各国で修行され、今では日本で福祉と教育を通じて音楽が成し得る可能性を追求されています。
素晴らしいドラムを叩かれ、人柄もとても素敵な方です。文章も読み応えあり面白いです。
後悔したってしょうがないし、それが私の人生。
後悔は、学びに変えてしまえばいいんです。その後悔があるから、次にもっと良い選択ができる。今その後悔ができていること自体が貴重なことでもあるんだと思います。日本にずっといたままだと決して気付かなかったことだから。
結局、その瞬間ひとつひとつの選択は偶然であり、またその人の運命とも言える必然なのだと思います。
リサーチして、良い体験記を見つけたとしても、その人のような生き方ができるわけではない。
そんな当たり前のことに気づかされました。
はっきりと言えば、音楽を見据えたキャリア的にはわたしのフォルケホイスコーレ留学は失敗です。
あえて原因をあげるならば、日本からのリサーチでは見えなかった要因によるものと、私自身の気持ちによるものでした。
でも、そんなキャリアをはじめから自分が望んでいたのか、その時に自分がはっきりと意思を持っていなかったのが悪い。そもそも、そんな明確なキャリアが無かったからあの学校選ぶに至ったんです。
それに、本当にそれが自分の人生なのか?そうやって考えさせられました。
こうでなければならないと思い込んでいた状態から、悩むという状況に移行した。
それが私のフォルケホイスコーレ留学の結果です。
私はそれを喜んで受け入れます。今までの私は、周りに既に存在している型に自分をはめようと躍起になっていた。
でもそこから抜け出すことができました。学校での経験のおかげです。
そんなことよりも、自分が選んだ選択肢を通じて出会った人たちとのかけがえのない時間が今でも私の心を温めてくれる。
そっちの方が大切です。
そうやってかけがえのない仲間との時間を得る事、それこそがデンマーク発祥であるフォルケホイスコーレに行く一番の目的なのかもしれないですね。