Hurra! Hurra! Hurra!

デンマーク、ドイツ、アジアバックパッカーを経て感じた事や体験談を発信します。また自分の専門である障害者福祉に関連した発信もどんどんしていきます。

ready forクラウドファンディング達成映画「はたらく」全国ロードショー!!一足先に鑑賞させていただきました。

先日ready forにてクラウドファンディングを達成した、ロゴスフィルムによる映画「はたらく」。

readyfor.jp

 

自閉症の方に仕事として俳優をやっていただき、働くこととは何かについて考える、というコンセプトに強く興味を抱き、私もクラウドファンディングに参加しました。

 

見事に目標を達成し、映画「はたらく」がついに明日から全国公開されます。

 

logosfilm.jp

charity-japan.com

クラウドファンディングのリターンは映画観賞券だったのですが、映画館に赴くのが難しい人向けにオンデマンド視聴コードがリターンとして贈られました。

 

私は日本で映画館に行くことができないので、オンデマンド視聴コードを希望し、

全国ロードショー前に鑑賞させていただきました!!

 

(あらすじ)

映画監督のさいとうは自閉症を持つしょうへいに新作映画「はたらく」の主演を依頼し、しょうへいは快諾する。監督としょうへい二人での映画撮影をするための練習が始まるが、しょうへいにとっては難しいことが多くなかなかうまくいかず、映画撮影が実際にできるのか心配を抱える監督。困っている監督に一緒に練習をする俳優仲間が与えられ、本格的(?)に映画撮影のための練習が始まる。しょうへいは映画俳優としての仕事を全うすることができるだろうか?そして本番の映画撮影に入り、どのような作品が完成するのだろうか?

 ・・・ロゴスフィルムHP「はたらく」作品紹介ページより引用

 

映画前半から中盤にかけてしょうへいさんと監督たちが映画作成に向けて、しょうへいさんと俳優としての演技の練習に取り組みながら、作品づくりを模索していく姿が描かれ、終盤で完成したショートフィルムが映画の中に盛り込まれているという、メタフィクション形式のドキュメンタリーです。

 

監督は映画製作業の傍ら、福祉職にも従事されており、しょうへいさんのようなケースをお持ちの方について理解がある方です。

支援者として「自閉症の人はこうである」という前提を抜け出し、自閉症を持つ人と一緒に映画づくりに取り組む姿はとても興味深かったです。

しょうへいさんのようなケースの方は、私も今ベルリンで通ってる施設で沢山見てきたので、正直「おいおい大丈夫か」と思う場面もありましたし、監督も作品中で自問自答されています。

 

映画が進むにつれ、自閉症についてどのようなものか知っている私自身が、前提に捉われていた事に気づかされ、ハッとさせられました。

私のような知識のある人間が、色々見知って分かっているがゆえに、障害のある人達に対する前提を勝手に作り出し、その枠に彼らを当てはめていたことに気付かされたのです。

 作品では皆それぞれが奮闘する中で、しょうへいさん、俳優陣がお互いに対する理解を深めて各々が成長する姿が見られます。

 

また、作品を通じて「働く」ことの意味について考えさせられます。

お金をもらうために働くのか

食べるために働くのか

しんどい事を我慢することが働くことなのか

生きがいを感じることが働くことなのか

社会に参画し人と繋がる事が働くことなのか

自身が輝くことが働くことなのか

働いているという意識を感じるために働くのか

 

答えは各々で見つけるものだと思うし、私自身もはっきりとした答えを見つけきれていません。

 

しょうへいさんが慣れない俳優業に取り組もうとする姿、

監督や俳優陣がしょうへいさんを巻き込んで映画づくりをする姿、

それぞれから働く事とは?と考えさせられますし、

私は何より、しょうへいさんの笑顔が「はたらく」ことの意味を物語っている。そのように感じられてなりません。

 

最後にしょうへいさんは、俳優とは?と聞かれ、「仕事です」と答えます。

結果的にそう言わせただけじゃないか、という議論も起こるかもしれません。

ただ、私はそういう問題提起を起こす事自体に意味があると思います。

重い障害をもつ人を社会に巻き込んでいく事は、彼らにとって多少スピーディーすぎることである場合が多々ですし、ピアサポートの視点を欠いてしまう場合もあるかと思います。

ただ、だからといって、この課題を置きっぱなしにしていいのでしょうか?

答えを出すのが難しい問題だからこそ、多くの人からの考えや意見を求める価値があるし、社会問題の解決はそうやって成されていくのではないでしょうか??

 

私は重い障害を持つ人を社会に巻き込んでいく事に可能性を感じています。でも、その原石を掘り起こす方法がまだ分かりません。

だから、多くの人に関心をもってもらい、様々な視点から意見を聞きたい。

それが大きな動きの力に繋がるかもしれない。そう強く願っています。

 

最後に、私個人がここから感じた事は、言ってることはさておき、本人がとても満足そうな顔をしているし、俳優として仕事をし、作品において欠かす事のできない存在感を示すことができた。

もうそれだけで十分じゃないかな、とも思ったりするのです。

 

logosfilm.jp

 

vimeo.com

 

映画「はたらく」、多くの人に鑑賞してもらえたらと思います。

 

 

誠実な感情の見せ方~小さな理不尽さをけして逃さない事

インターンシップ先の施設での出来事です。

 

今日、テーブルで向かい合って作業していた二人の利用者さんがいました。

 

そのうちの一人が少しセンシティブで、ちょっとオーバーに物事を捉えて過剰反応する方なんです(知的障がいをお持ちです)

 

んで、向かい合って座ってる相手に向けて「触るな」みたいな事を口にしたんですね。相手は全く触れてもいなかったんですが。

 

んで、おそらく決定的に言ってはいけない、相手を傷つけるような事を口にしたようなんです。(ドイツ語が聞き取れなかったんですが、そんな感じでした)

 

それを聞いたスタッフがすごく怒ったんです。

でもその方は謝らなかった。頑として。

 

全く話が通じず、でもスタッフは決してそれを譲らず、施設のチーフのところに行きなさいと言った。んでもその利用者さんは決して聞かず。

ついにスタッフは内線を入れ、チーフを呼びました。

私はこの顛末を見て、スタッフはチーフに電話を入れてるふりをしてるだけかと思ってたんですが、そしたらほんとにチーフが来たのでびっくりしました。

 

こりゃおおごとになってきた感満載。

 

チーフがスタッフから事情を聞き、その利用者の方に静かに言い聞かせていました。

おそらく、それながら帰らなければいけないよ、みたいな事を言ったようなんです。

 

どうやら利用者さんにとって、チーフが自分とそういう話をするという事態は、大げさに言うと学校で校長室に呼び出されるレベルの事のようなんですね。

帰らなければいけない⇒自分の存在が脅かされるほどのレベルのことと感じて、パニックになり泣きだし、ついに謝ったんです。

 

ここで過ごしてる中で一番感情がむき出しになるシチュエーションに遭遇しました。

 

利用者の方の知的レベルを考慮して、果たしてどれほど状況を理解できたかはわかりませんし、起こった事を覚えているかどうかも分かりません。

 

でも、人としてやってはいけない事には当然ノーと言うべきです。

知的障害があっても、許されることではありません。

 

それは利用者を庇護する対象としてみるだけじゃなくて、人間として対等に扱っている事になります。

 

もちろん障がいの程度を考慮し、彼らにできる事できない事を見極めた上で、相手にどんな伝え方をすべきか考慮しなければなりません。

 

障がいがあることを理解した上で、それでもやってはいけない事は認めるわけにはいかない。

障がいがあるからといって、相手を傷つけたり、嫌な気持ちにしたり、理不尽な言動が許されるわけではない。

 

相手にハンディキャップがあり、できる事できない事があるのはわかっている、それを理解した上で魂で対等な接し方をする。

 

 

今日起こった事は本当に小さな出来事だったかもしれない。

人によっては、事を荒立てないように、ハイハイわかったよと言われるがままにしてトラブルを起こさない事に徹するかもしれない。

 

けれど、そんな小さな事ではあるけど、理不尽さを許しているという事になってしまう。

それを見過ごしてはいけないんです。

その小さな理不尽の積み重ねが、彼らの人間性や社会における振る舞いに大きな影響をもたらし、

生きていくために必要なヘルプを求めるために、誰かと支え合って協働していくために、社会で適切な人との関わりができるようになるかどうかを左右します。

 

小さな事ではあっても、相手を傷つけたり、人として間違っているのならばきちんと分かってもらわないといけない。

本当の意味で理解してもらうのは困難だと思います。

けれど、「自分の言動で誰かがすごく怒って自分の立場が危ぶまれた」という認識をしてもらうことは、その人の障害を考慮した上によりますが、多かれ少なかれできますし、何かしらの学びを本人にもたらすと私は信じています。その貴重な学びの機会を逃してはいけない。

 

「どうせ分からないから」「たいした事じゃないから」で片づけてはいけない事です。

「自分は何やっても許される」という認識では社会で生きていく事ができません。

本人に理解できる余地が少しでもあるならば、必ず働きかけて理解してもらうこと。

そのために適切な形で(ここが重要です)感情をぶつけることも必要だと私は思うし、その瞬間に今日立ち合う事ができました。

だって支援者だって人間なんだから、傷ついて悲しんでいる誰かの側に立って抗議するならば感情を見せなければ相手に伝わりません。

 

ドイツの施設のスタッフで、忙しさで余裕をなくし感情的に人に八つ当たりするような人は皆無です。

ただ、今日起こった出来事のように、人として誠実な接し方をする時の感情の見せ方はとてもストレートで健康的だとつくづく思います。

 

それを改めて感じ、そんな人との向き合い方が私は好きだと改めて思い、この仕事の面白さや深さをまた一つ知った日でした。

難民コミュニティ訪問

ベルリン滞在もあと2ヶ月を切りました。

こっちに来てからやってみたいと思ってた事の一つに、難民支援の現在の状況をこの目で見ること、というのがありました。

ただ、ベルリンに来てから心の調子を崩してしまったためにあまり思い切ったができなくなってしまったり、
インターンシップやバイトもあったりで、難民支援への関心が薄れてきていました。

実際、ドイツの難民支援は一つのフェーズを超えたという印象も感じており(これに間違いはないと思います)、私がでしゃばる事ではないかなとすら思い始めていました。

が、最近になって色んなブログ記事を読み、
せっかくドイツにいるのにこのままではダメだと思い、行動を起こしてみる事にしました。

ネットでボランティア検索をして、
引っかかったものに応募しました。

 

以下覗いたウェブサイトの一部。

◆Vostel

vostel.de

 

◆GSBTB

Give Something Back To Berlin

 

 

すると次の日にお返事が!
すぐにアポを取り、行ってきました。

 

今回訪れたのはSpandawの難民支援センター。
私の家から1時間以上かかるとこでした…
遠い!と思ったけど、まぁ暇だし行ってみるかと思い、Ubahnとバスに揺られ到着。

 

入り口でセキュリティの人に声をかけ、事務局の人に連絡を取ってもらいました。
入場のために写真付きIDが必要との事で、やばい聞いてないよ持ってないよと焦ったのですが、事務局の人が迎えに来てくれたのでそのまま入場できました。

 

中に通してもらい、話を聞かせてもらうと、やはりドイツ語が不十分では難しいとの事、プラス2ヶ月だと短すぎるとの事。
やっぱりなーと思いつつ、メールの返事では「それでも大丈夫よ!」って言ってくれたから来たんだけどなーと複雑な気持ちに。とほほ。

 

せっかく来てもらったし、是非中を見ていってくださいという事で、コミュニティを見せていただく事に!
思いがけず、自分が一番望んでいた事が出来る事になりました。


元々ここの土地は工場の跡地を借りて使用しています。
中はだだっ広いスペースで、そこに仕切りを付けて生活スペースを確保していました。ちなみにプライバシー配慮のため、実際の彼らの生活スペースは見る事ができません。


かつて工場だった元々の殺風景な空間の中に、温かみのある色の壁を使ったりしており、その生活スペースからは明るい雰囲気を感じられました。

綺麗な布のカーテンがかかってるのもよく見られたのですが、カーテンは実際に居住している難民の人たちがワークショップで作成したものだそうです。

 

ここは生活スペース、ワークショップ、語学学校、公園、食堂などが揃っており、更に仕事斡旋や住居探しなど役所としての機能も果たす部署も揃っていました。

ドイツにやってきたものの行き場がない人たちが、ひとまずここに足を下ろし、ドイツで生活するに当たって必要な手続きをしたり、生活や仕事に必須のドイツ語を学んだり、仕事や実際住むアパートの斡旋をしてもらったりなど、自立するための準備期間をここで過ごす、という場所です。

 

実際こうして訪れるまで、難民支援ってもっと殺伐とした重い空気の中行われてるのかなってイメージ抱いていたのですが、全くそんなものは感じられず、
ただ人々の淡々とした暮らしや営みがそこにあり、人と人の間にある温かさが見られる瞬間がいくつもありました。
職員さん達、難民の人たち、皆揃って家族のような雰囲気でした。

 

結局お互いの条件が合わず、ここでボランティアをするには至りませんでしたが、実際に難民支援コミュニティを見せていただいて、大いに感じるものがありました。

大変なものに違いないと、先行するイメージで勝手にいろいろ決めつけていたり思い込んでいた自分が恥ずかしくなりました。

 

そこにあったのは希望でした。
ここまでやってくる道のりは壮絶だったかもしれない。
このセンターは2015年末からやっているとの事。ここまで来るまでに大変な事がいくつもあったかもしれない。

けれど、ここで見る事が出来た人々の在り方を見て、こうして難民支援を為しているドイツの未来は間違いなく明るい、と確信しました。

 

日本にはまだ難民受け入れの土壌ができていません。
行政に全くその気がないし、世論の関心もない。
色々課題はあると思うけど、難民受け入れはうまくやれば国に大きな豊かさをもたらすものだと私は今ポジティブに感じています。

だからこそ、もっと多くの人に関心を持ってほしい。

 

今日訪れたセンターの人曰く、
是非訪れて実際に見てもらいたいと言っていました。
好奇心でそんな事をするのは悪いことだと思ってずっとためらっていたのですが、見て知ってもらう事はすごく大切だしプライバシーの配慮はこちらがきちんと対応するのでためらう事なく是非訪れてほしいと仰っていました。

 

もし機会があれば、是非実際に起こっている事を、難民支援を行う事で私たちにもたらされる可能性について、是非考えてみてもらいたいです。
そして、日本も難民支援に関われるように、受け入れる側である私たち自身の理解を深めていけたらと思います。

 

私が刺激を受けた記事

d.hatena.ne.jp

 

tatsumarutimes.com