災害時の避難において大切なマニュアルとは~肢体不自由の方の移動支援従事者の視点より
先の大雨により、中四国地方を中心に各地甚大な被害が出ています。
Twitterを見ていても災害からの避難に関するツイートが飛び交っているのをよく目にします。
そんな中、私がTwitterで見かけたこのお知らせ。
NHKハートネット福祉情報総合サイトより、災害時障害者向けのサイト。
災害別の対応と、障害に応じた準備や対応の簡単なマニュアルが各障害項目ごとに載っています。
私は障害を持つ方の支援を仕事にしていたのもあり、また前職では災害時対策委員会にも入っており、災害時の行動についてシミュレートする機会が多かったので、
このサイトのマニュアルを見て、どうすればいいのかパッと難なくイメージできました。
ただ、そうでない人にとって、具体的に何をすればいいのか、確かに分かりづらい部分もこのマニュアルにあるのかもしれない、と気付かされました。
今回、障害者の方が災害から避難するために、支援者及び手助けいただく一般の方に大切にしてほしい事を、マニュアルという観点からお話します。
ここでは、主に肢体不自由の方を対象としてお話したいと思います。
色々書いてるけどどれが正解!?
「支援したいけどこれではどうすればよいのか分からない」という意見を目にしたのは、この項目を巡っての事です。
「車椅子ごと持ち上げて3~4人で運ぶのが安全」とありますが、
かたや緊急時には、
「担架を用意したり」
「背負ったり」
「複数の人で抱えたり」
「毛布やシーツに乗せて移動」
ともここでは書いてあります。
これはどれもその通り!!なんです。
でも、これだけ色々なやり方があると、
じゃあ結局どーしたらいいの!?どれが一番なんだ!?
と迷ってしまうだろうな、とも思います。
加えて、「本人に支援の方法を聞き」とも書いてある。。(これも大正解なんです)
確かに何の事前知識もない、肢体不自由の方と接した経験のない人には「???」と混乱してしまうのも無理はないかもしれないですね。
肢体不自由とは??
では肢体不自由とは具体的にどのような状態を指すのでしょうか?
↑東大がとても良くまとめていました!すごい!大学がここまでやってくれるなんて期待してなかった!
肢体不自由とは、四肢(上肢・下肢)、体幹(腹筋、背筋、胸筋、足の筋肉を含む胴体の部分)が病気や怪我で損なわれ、長期にわたり歩行や筆記などの日常生活動作に困難がともなう状態をいいます。原因としては、先天性のもの、事故による手足の損傷、あるいは脳や脊髄等の神経に損傷を受けてなるもの、関節等の変形からなるものなどがあります。
一口に肢体不自由といっても、障害の部位や程度によってかなり個人差があります。たとえば、右足に障害がある場合、左半身に障害がある場合、あるいは両足、全身の運動動作が不自由という場合もあります。また障害の程度も、日常生活動作にさほど困難を感じさせない程度から、立ったり歩いたりなどの動作に支障があるため杖や車いすや義足などを必要とする程度、日常動作の多くに介助を要する程度などさまざまです。
さすが東大。私が伝えたい事をシンプルかつ分かりやすくまとめてくれていました。
しかも具体的な状態の記述まで!
そうここで言われているように、一口に肢体不自由と言っても、障害の部位や程度により、本人さんがどのような困難を抱えているか、個人差があります。
歩行に困難を抱えた人、体幹機能障害のために独力での座位保持が困難な方、寝たきり以外の姿勢が取れない方、側弯をお持ちの方、コントロールが難しい筋緊張をお持ちの方…等、障害のパターンは挙げればいくらでも出てきますし、これらを複合した障害をお持ちの方もおられます。(続く)
— pco@ブログ更新中!安上がり寄り道紀行 (@hurra_pco) 2018年7月9日
更に、もし重症心身障害者の方であれば肢体不自由だけでなく、知的障害、視覚障害など、複合的に障害を抱えている場合もあります。寝たきりの方であれば筋力や骨が弱っているために骨折のリスクが高い方もいますし、場合によっては首が座っていない方もおられます。
なので、ある程度の方向性は同じであれど、各々抱えている障害のパターンがそれぞれ違うとも言えるのです。
あの書き方では迷うかもしれない…でもね…?
じゃあハートネットのマニュアルの書き方はどうなんだという話ですが、私はあれで良いと思います。
読みやすい文字の大きさと親しみのあるフォントとデザイン。読み仮名をふって、シンプルに且つ大事なポイントを付いていると思います。
ただ、「どんな立場の人にでも伝わるように」且つマイルドな表現を心がけているために、「○○すべし!!」「これだけは絶対に外すな!」のような強いメッセージ性は確かに欠いています。
じゃあそれが悪い事なのかというと、私はそんなことないと思います。
なぜなら、特に災害時において、「絶対」を信用し過ぎることほど自分の身を滅ぼしかねない事は無いと思うからです。
行動の指標となるべくして存在するのがマニュアルです。
しかし、マニュアル脳になったが故に思考停止し、想像力を欠いたまま行動を取っていては想定外の事態に対処できません。想定を超えた事態が発生し得るのが大災害です。
もちろん行動の大筋はマニュアルに沿うべきです。加えて、目の前の状況を見て判断しその場に合わせて臨機応変な動きを取れる力は、災害時に生き残るために必要な力なのです。
だから、「○○はすべき!」のように、「絶対マニュアル」は逆に危険です。
ハートネットのように、ある程度のアドバイスを与え、あとは各々が考えたりググったりする余地を残す程度のマニュアルがこの場合は丁度良いのです。
災害は電化製品じゃなくて完全にナマモノだからね。
だから、障害を持たれた方の手助けをしていただく際にも、「これが絶対」という既存のマニュアルに頼る方法を取るのではなく、「目の前の方に向き合う事」で「その方独自の絶対のマニュアル」を入手してほしいのです。
ハートネットが「本人に支援の方法を聞き」と書いてあるのはそういう事なのです。
胸に秘めておいてほしい大切なマニュアル。
ここで1つ、これを読んでくださってる方に、貴方のこれまでの経験の有無に関わらず、どうしても伝えたい事を伝えさせてください。
私は以前重心障害者の方の施設で現場スタッフをしていました。
そして私の勤務地は大阪市。
東日本大震災以降から、南海大震災の発生を危惧する声が高まってきました。
南海大震災が起これば、大阪市の広域が津波で浸水する事が予想されます。
私の勤務していた施設は、肢体不自由・寝たきりの方が多くおられました。
もし南海大震災のような大規模震災が起こった際には、地震から利用者さん達の身を守り、津波から何が何でも高台に避難しなければなりません。
このような背景があり、職場で緊急時の際の避難行動について何度も議論しました。
避難訓練も何度も行いました。利用者の方をスタッフ総出で車椅子に乗せ、近隣の指定避難所まで移動する、というものです。
このように普段から実際にシミュレートしたり、取るべき行動を予行演習しておく事で、いざという時にやるべき行動にパッと移れます。
災害が起こった時こそ、冷静でいる事が最も大切です。(そういう点で、さっき言った事とはやや矛盾してしまいますが、行動マニュアルは必要です。)
が、何度も言いますが、災害時は何が起こるか分かりません。
想定外の事も起こるかもしれません。
でも、どんな状況になっても忘れないでほしいのが、「生き残ること」です。
ここでは大規模震災で津波や建物倒壊などの危険から一刻も避難するという想定でお話していますが、 例えば体幹障害で寝たきりの方がいる、どうやって移動したらいいのか分からない。
そんな中、津波が迫ってきた。となると、もう迷ってる暇はないですよね。
引きずってでも、何が何でも避難させなければなりません。
例えば、毛布に乗せて引きずる過程で怪我をさせてしまうかもしれない。
でも、怪我は後から回復できます。
しかし、人命は失ったら二度と返ってきません。
各所で配布されてるマニュアルやネット上にに色んな事が書いてあったり、色んな人が色んな事を言ってきたりすると思います。
でも、「できるだけ多くで生き残る」という確固たるマニュアルを胸に抱いて然るべき行動をとれば、大外れになることは無いのではないかと思います。
でも、過去の災害事例や新しい役立ち情報に敏感になり、普段から取るべき行動を頭の中でシミュレートしておいた上で初めて、その確固たるマニュアルは生きてくると私は思います。
絶対のマニュアルは存在しないからこそ、胸に秘めた確固たるマニュアルを元に各々の行動指標を作っていってほしい。
そして、「できるだけ多くで生き残る」という思いを胸に、移動に困難を抱えた人に手を伸ばす事のできる心づもりを可能であれば持ち合わせてほしいと私は願います。
まとめますと、
・肢体不自由の方には各々独自の身体的困難があり、絶対的マニュアルは存在しない。だからこそ、有事の際は対話を通じてニーズを聞きだしてほしい。
・いざという時に冷静な行動をとれるように、普段から情報に敏感になり、取るべき行動をシミュレートしておくこと。
・一刻を争う事態では、多少荒っぽいが「大勢で生き残る事」を最優先として行動をとる。
です!!
大災害が起こった今だからこそ、幸運な事に平穏な日常を乱されずに生きている事ができる私たちにできることは、そこから教訓を得る事。
他人事ととらえず、「自分ならどうするか」 と一考する事が、誰かの命を、そしてあなた自身の命を救う事に繋がるかもしれません。
インド人はウソつき!?道を尋ねまくって見えてきたインド人の国民性~安上がり寄り道紀行@ムンバイ
ムンバイ行の列車で約丸々一日を過ごし、ムンバイに着きました。
hurrahurrahurra.hatenablog.com
インドの中でも発展が著しいというムンバイ。近年、インド映画のブームで「ボリウッド」とも形容されています。
高層ビルがどんどん建っています。
南下したためか、海沿いに寄ったためか、湿気が増したような気がする。
気温はそれほど高くないはずなのに、ちょっと外出て歩いただけで汗だくです。
次の日にはもうムンバイを出て、次の目的地に向かいます。
ああ、そうだ、列車のチケットを買わないといけない。
今駅にいるうちにチケット購入しておこう。
チケット窓口を求めて放浪開始しました。
しかし、どこかわからん。。。
いかにも知ってそうな警備のポリスガイに尋ねました。
ポリ「チケットなら二階の窓口だよ!」
二階に向かいました。
途中見かけた壁画。モダンですな。でもインドっぽい。
辿り着いたそこはローカル線のチケット売り場でした。長距離列車のチケット買えない。。。
窓口のにーちゃん「チケットなら下のフロアのNO.○○だよ!」(窓口番号忘れました)
それはどこや…それらしいものを探し求めて、寝不足&汗だくでフラフラ歩き回り、ようやく辿り着いた窓口。(駅の入口の、外から見て右手にありました)
窓口のおじさん「ここじゃないよ!駅から出て左に向かったところに窓口あるから!」
また違った。駅の外に出ます。
フラフラする私を見てリキシャ―ドライバーが群がってきます。ああああ魑魅魍魎の嵐。
虫を追い払うように無視して突っ切りましたが、窓口がどこか分からん。
フラフラ迷ってたらリキシャ―野郎の残党がまた寄ってくる。
1人しつこい奴がいて、「俺が案内してやるついて来い」みたいな感じでいつまでもついてくる。
やっと見つけたのは制服着たおっちゃん達が集うデスクみたいなとこ。
私「ここチケット売り場ですか?」
おっちゃん達「チケット売り場ならまだ開いてないよ(この時点で9時40分頃)。そこの建物抜けたとこにあるから。ここで座って待ってたらいいよ。」
私「(よく見えん…)」
でも堅気のおっちゃん達が集う場所で、少しほっとしました。
よく見えないので様子見に行こうとしたらさっきのリキシャ―野郎がまだついてきてました。
暑さと疲れで苛立っていた私、ついに怒鳴りつけました。
「あっち行け!!!お前なんか大っ嫌いだ!!!!!」
おっちゃん達のおかげでホッとした反動か、堪えてた感情が爆発しました。
おっちゃん達も私を守ってくれ、怒鳴る私とおっちゃん達の様子を見てリキシャ―野郎もついに諦めてどっか行きました。
10時になったので、窓口を探しに行動開始。
チケット売り場のくせに目立つ看板がひとつもない…人に聞きながら、ようやく辿り着いたチケット売り場。
ああ、これこそ私が求めていたもの…!ようやくチケット買える!!
なんか受付番号みたいなのがある、、どうやって受付番号もらうんだろう。
困って突っ立ってたら、おじさんが話しかけてくる。
そのおじさんは真剣に私がどうすればいいのか片言の英語でアドバイスしようとしている、でもなんか的外れに聞こえるアドバイス。。。
私たちの様子を見て色んな人が集まってきた。みんな各々がベストだと思う意見をあーでもないこーでもないと口にする。
気持ちは嬉しいんだけど、混乱するお。。。
すると係員っぽい人がきたので窓口に連れてってもらった。(助かった)
窓口でチケットあるか問い合わせると、
「君はここじゃなくて、チャーチゲートにチケットカウンターがあるから、そこへ行きなさい」
こ こ ち ゃ う ん か い(あぼーん)
あんなに色んな人に尋ねまくって辿り着いたのに。。。結局違うところに来てしまった。。。。
あんだけ聞きまくったのは何だったんだ。。。
チャーチゲートというキーワードをググると、日本人の体験談が出てきました。
あっさり解決wwwww
教訓:インドではインド人よりもGoogleを信用した方が良い場合が多々ある
一度インド人不信に陥りながらも、「インド人は悪い人ばかりではない」と私は既に分かっていました。
そうなんです。多くの人が素朴な真っすぐな人情を持ち合わせているんです。
彼らは困っている人や助けたい人を、自分の持ち得るあらゆる知識や記憶を総動員してなんとかしようとしてくれているのも理解しました。
ただ、それが的外れであるだけなんですw
今回私が道を聞いた各々が「チケットを購入したい」という私の目的のために、彼らのこれまでの「チケットを購入」という経験と知識に基づいて、私に情報を提供してくれた。
彼らの情報の方向性は「インド人である自分たちがチケットを購入する場合」の方へ向かいます。
ただ、私が向かうべき方向は「外国人である私が急遽チケットを買う場合」に向かっていなければならなかった。
そして、インド人は大体適当なので、人によって情報の精度にムラがある。情報精度がひどく低く、誤った情報であることも多々。
これが今回私がインド人に尋ねまくった結果、結局違う目的地に行きついた理由です。
私も甘かったです。道行く人に多くを求めるものじゃないと、今回の件で学びました。
そういえば、インドに来て誰かに道を尋ねたら、100%何かしらの情報が返ってきます。
「いやーごめん分からんわ、他の人に聞いて!」という返答を全く耳にしたことがありません。
もちろん、正確な情報を持ち合わせている人もいます。
ただ、自分都合の解釈というフィルターを通した情報を教えてくれる人がかなり多くいます。
「インド人はウソつきだ」という評判をよく耳にしたことがありますが、それはこのような国民性を指しているのかもしれません。
彼らはウソをつこうとしてウソつきになっているわけではなく、決してへりくだる事なく、このように自分都合で話をする事が基本スペックであるために結果的にそれが相手側にとってウソになるのだと私は理解しました。
その自分都合が時に「自分の保身」のためだったりするから、インド人はウソをウソとも思わずに自分都合で話をするのだと思います。
とにかく、違う場所だったと知り、ようやく正確な情報を手に入れ、どっと疲れました。
もう既に2時間ぐらい汗だくで大きな荷物抱えて歩きまくってる。。。
辛い、早く、宿でゆっくりしたい。。。。
力を振り絞って、ムンバイセントラルからローカル線に乗り、チャーチゲートへ。
今度はGoogleで調べながら行きました。
「お客様は王様です。」
チケット取れるかかなり心配でしたが、無事取れました。
(この成功体験が過信に繋がり、後の失敗へ繋がります…笑)
後はもう何も考えずサッサと宿に向かい、重い荷物を下ろしてシャワーを浴び、ようやくリラックスできました。
クタクタの疲労困憊で、もうどこにも行きたくなかった。
そういえば、ずっと動きっぱなしだったなと気付き、せっかくのムンバイですが今日はオフ日にしました。
涼しいベッドでゴロゴロし、そのまま眠ってしまい、起きたら日の入りの1時間前ぐらい。
少しだけ外出しました。
電車はドアも窓も無く常にオープン
結構綺麗な電車でした。ムンバイが発展した都市っていうのを感じられます
バスが可愛かった。今回は乗ってない。
気温はそこまで暑くないのに湿気のためか体感気温がすごい。。ちょっと歩いたらもう汗だく。
遠くに見える高層ビル。でも下町はやっぱりボロいバラック小屋が立ち並ぶ。
どこかのナイトマーケット。そして、そのど真ん中を突っ切る公共バスww
駅の高架から見下ろした街
名所らしいとこは行けず。
ムンバイならまた来れるかなと思い、まあいっかと思いました。
今回はあくまでついでに寄っただけだけど、次回来るならもっとお金と時間をかけたプランでね。
次回ムンバイを離れ、ようやく今回のインド滞在のメインの目的地へ移動します!
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思わぬ形で癒された。インド旅行の醍醐味は列車にあるのかもしれない~安上がり寄り道紀行
悲劇の街ジャイプールをついに脱出します。
hurrahurrahurra.hatenablog.com
前日のうちに駅に行き(リキシャ―2人組に頼んで寄ってもらった)、無事に寝台席を購入できました。
外国人用の窓口らしい。
列車の予約がこれまたややこしいシステムなんです。
詳しくは他の方がまとめているサイトを参照していただきたい。
とりあえず、席が売切れたらウェイティングリストというものに振り分けられ、
当日の4時間ほど前にウェイティングリストのナンバーが若い順から繰り上がっていくらしい。
軍人優先の枠、女性優先の枠、外国人優先の枠、などの優先枠で空いてる席が発車の4時間前にさばかれて、ウェイティングリストの繰り上がりが発生するシステムのようです。
ほんと階級社会だね、インドって。。。おかげで色んな事がややこしい。
なのでおそらく私が外国人だったので、前日にも関わらずすんなりと席が取れたのだと思います。
しかし、このややこしいウェイティングリストの仕組みをこの時点で分かっていなかった私。外国人は窓口に行けば自動的に席が取れると思い込んでいました。
そして、ここからしばらく経った後、列車の席を巡って痛い目を見る事になります。お楽しみに!w
リキシャ―が来なかった上にインド人不信になっていた私、ホステルから炎天下の中、喧騒を歩き40分ほどかかりました。
距離的には20分なのですが、歩くと何割増しで時間がかかります。
道路は完全に車両優先。車は絶対に歩行者のために止まりません。
問題:じゃあどうやって歩道を横切ったらいいの???
答え:みんなで渡れば怖くない!!!
ですw
まず、いかにも慣れていそうなインド人が今にも歩道を横切ろうとしているのを見つけます。
後は、その人が車の間を縫って歩道を横切ろうとするのにくっついていくだけです。
すると、あーら不思議!あんな危険な道路でも無事に渡れるぞ!!!!
ほんとみんな命知らずかよという勢いで見事にスルスルと歩道を横切っていきます。
しかしインド人、マジでみんな無意味にクラクション慣らすんですよ。
ちょっと前方の車両がもたついたらすぐ慣らす。
みんな我先に進もうとする事で頭がいっぱい。なのでインドの交通事情は車両優先ではなく、我優先と形容した方が正しいでしょう。
そんなんだから余計に混雑するんだよ、と誰か教えてやってくれ。。。
とにかく駅に到着。
列車を待つ人々。基本的に「地ベタリアン」ばかりです笑
さて、ようやく次の目的地に向かって進める。。。次はジャイプールからムンバイに向かいます。AというのはエアーコンディショナーのAです。
寝台列車の席のクラスは1A、2A、3A、スリーパー、そして指定席無しのGLと分かれています。
さすがにGLで一日近く過ごすのは無理だと思い、安いスリーパーか3Aをいつも取っていました。
今回のムンバイ行はスリーパー。やっぱり安上がりで済ませたかったので。
そうしてやってきた列車。
スリーパーはエアコンなしです。なので窓にガラスはなく、代わりに格子があります。
外からの見た目、まじで監獄
分かってはいるつもりでしたが、例の如く結構引きました笑
「ここに収監されるのか…」と覚悟を決めなければなりません笑笑
そして乗り込むとこれまた例の如く悪目立ちする私。
外国人がこんなとこで何やってるんだ的な視線です。
スリーパーはインドの庶民が主に利用する席なので、裕福な外国人がわざわざ乗り込んでくるのは珍しいことなのかもしれないし、外国人自体が珍しいのかもしれません。
とにかく視線が痛かった。
私の席の番号には既に先客がいました。子供連れのお母さん。
そこ私の席なんだけどと声かけると、向かいの席(おそらく元々彼女か子供の席)が空いてるからそこに行けばみたいなジェスチャーをされました。
いいよ、別に、私も気にせん。
外を見つめる子供。
そして列車は出発。
私の席は3組の子供連れの親子が座っていました。
これから24時間近くを共にする間柄となります。
私はやはり少し警戒していました。
インドの列車でも物盗りには十分注意を、と聞いていました。
それに連日の色々ですっかりインド人不信になっていた私。
この時点ではあまり人々と交流する気にならず、窓際だったので外を見つめていました。
窓から流れ込んでくる風を楽しみながら景色を楽しむ。。。。
と思っていたのですが、これが大間違いでした。
外の気温は40℃。窓が全開で爆走する列車。
外から流れ込んでくるのは爽やかな風ではなく、灼熱の熱風でしたw
ブワアアアアアと絶え間なく私の顔に熱風が吹き付けます。
例えるならドライヤーの温風が顔にそのまま向けられているようなものです。
インドの暑さに慣れつつあった私。はじめはまだ大丈夫だと思って外の景色を見ていました。
が、目の前の景色も、ほぼおんなじ茶色の光景。。。。
それも新鮮に感じられなくなり、熱風の吹き付ける車窓にはもう用が無くなりましたw
なので2、3時間もしないうちに、スカーフを顔に被ってうたた寝をする(まぁ寝れないですけどね)という過ごし方になりましたw
まぁ、あれはあれで新鮮な体験だったんですが、もう一度経験したいとは思いませんねww
そんな中で見ていた景色、
人のほとんど住まない茶色い痩せた土地ばかりでしたが、そんな中でテントを張り人里離れて暮らしている母子、またしばらく離れた所でテントを張って暮らす集団を見かけました。彼らの着ているものはボロボロ。裸足のまま、電気も無い生活をしている。
正直、ショックでした。テクノロジーがこんなに発達した社会であんな原始的な暮らし方をせざるを得ない人がこんなにも沢山いる。そしてそれが当たり前のインド社会。。。
どんな思いで暮らしているんだろうと想像がつきません。あれを当たり前のものとして何とも思ってないのか、それとも理不尽さを感じているのか…結局わたしはこうして想像する事しか出来ない外野の人間で、この国において無力です。それを痛感せざるを得なかった。
そうやって数時間が経過。
「あと10数時間もあるのかー」と時計を見るのにも飽きた。
私の隣には小さな男の子が座ってました。
人懐こくて可愛かったので、ついニコニコと見つめていたら、男の子も私に興味を示してくれた。
そんな反応を微笑ましく見る彼のお父さん。そして見合わせる私とお父さん。
双方笑顔になりました。
これがきっかけで子供を介してお互いに微笑み合うようになり、そうすると相席の別の男の子が私に何か話しかけてきました。
ヒンディー語で何を言ってるのか分からない。隣にいたその子のお父さんに目をやると、ややたどたどしい英語で「『君の名前はなんていうの』だって」と教えてくれました。
ああ、モモコだよ、と答えると、男の子は「モモコ!」と嬉しそうに復唱。そして周りのみんなも反応しました。
へー、モモコかぁ、みたいな感じで話をしているようでした。
そこからどこから来たの、お仕事何してるの、旅行かい、と聞いてきてくれ、少しのあいだでしたが、和やかな会話の時間を過ごしました。
私たちの間にはほのぼのと温かい空気が流れるようになりました。
そう、こうして私もようやくこの相席メンバーの一員になることができたのです。
インドの列車旅行は1日がかりというのがザラです。
上等のクラスだと食事付きの席だったり、もしくは食事のデリバリー販売の業者がいます。
が、スリーパー以下は自分で食べ物を調達しなければなりません。
各停車駅にはキオスクがあったり売り子が立ってるので、一旦列車を降りて食べ物飲み物を調達しなければなりません。
(これが実は楽しい!!バラエティに富んだ色んなインドの庶民的な食べ物飲み物に触れる良い機会です)
相席の人達と仲良くなってきてしばらくして、また停車駅に着きました。
私は今回はいいやと思って座ってたのですが、席を立った相席のお父さん達が窓から私に「これいるかい?」と飲み物を差し出してくれたのです。
びっくりしたし、とても嬉しかった。
「いいの!?わぁ、ありがとう!」と素直に感激する私を見てお父さんは微笑まそうにしていました。
ヨーグルトのドリンク。塩味とスパイスの香りが効いてます。ちょうど辛い揚げ物を食べた後だったので、スッキリ美味しく頂きました。
袋開けるのにちょっと手間取った笑
ああ、こうやって長い列車の時間を、束の間の団欒で過ごすものなのだなぁと理解しました。
不便で時間のかかるインドの長距離移動。狭いし暑いし、面倒なことも沢山。
だけど、こうやって出会った人達と家族のような付き合いをしながら、不便な場所だけどみんなで助け合いながらその場を楽しみながら過ごしているんだ。
インド人らしい、下町っぽい温かさに初めて触れた瞬間。
インド人不信に陥った荒んだ私の心を癒してくれた大切な経験となりました。
この経験はインド旅行で大切な思い出の1つです。
その後も列車には何度も乗りますが、インドの列車で出会う人達の温かさに触れ、何度も助けられました。
その後、あれやこれや飲めや食えやのオンパレード。
自分が持ってた食べ物もあったし色々頂いて、もうお腹パンパンでしたw
そうして夜もふけ、乗客たちはポツポツと横になり始めます。(まぁ昼の時点で結構みんな好き勝手に横になってるんですけどね)
なぜか私は上に行くんだと指示され、もっとも楽であろう一番上のシートをゲット。
あれはお父さん達が計らってくれたのか、彼らの都合だったのかは分からないけど、ラッキーでした。
スリーパーはエアコンがなく、夜間の気温でも30℃超えます。
けどあんまそこまで暑さを感じなかったなぁ。
暑いけど空気が乾燥しているからなのか、それとも私が暑さになれたからなのか。。。
目が覚めたら朝の8時前。
相席の人達は私の目的地の駅より前で既に降りており、見知った顔が一人もいませんでした。代わりに新しい乗客がポツポツとまばらに座っていました。
どこか寂しい気持ちになりました。
でも、これがきっと彼らにとって普通の事なのでしょう。
旅は一期一会。
インドの列車の旅は長距離だからこそ、のんびり気楽に楽しく過ごすのが鉄則なのだと思います。
その場に居合わせた者同士、お互いやりたいように過ごす。
下手に気を遣い合うわけでもなく、自然体。けど、どこか助け合っている。
「これ食えよ」と頼んでも無いけど買ってきてくれるその優しさ。「えっいらん」って思ってもやっぱり嬉しい。
乗客にはたまにひどく自己中な人もいるけど、それに対して遠慮なく文句を言う気概。そしてそれに応じる周囲。
そこには現代の日本が失った、人情味溢れた空間がありました。
例えるならば、じゃりんこチエの世界、大阪の昔ながらの下町みたいな感覚かもしれない。
そういえば大阪人もいらんことしいで、いらんことズバズバ正直に言いますねwインド人と大阪人、気ぃ合うかもしれませんw 私はそんな大阪が実は大好きです(まぁたまにめんどくさいですけどねwそれでも建前うわっつらの人とか個人主義の冷たすぎる人よりは1000倍マシです)
インド旅行に来た際は、是非列車に乗ってみてほしいです。
そして気概があれば是非、スリーパーに挑戦してみてください。
スリーパーはしんどいわと思う人が大半だと思うので、ならば是非3Aへ。
クラスがランクアップすると人々がより個人主義になっていきます。人は裕福だとやっぱそうなっちゃうのかもしれないですね。。。
なので、下町っぽさを是非という方は、スリーパーにチャレンジしてみてください。
(まぁどんな人に出会うかはその場の運次第なので、そこは自己責任で!w)
強者の体験談、是非聞かせてくださいね!
そして次回はムンバイへ。