Hurra! Hurra! Hurra!

デンマーク、ドイツ、アジアバックパッカーを経て感じた事や体験談を発信します。また自分の専門である障害者福祉に関連した発信もどんどんしていきます。

プチパンチャカルマ開始~安上がり寄り道紀行

更新が滞ってしまった…!!

心が折れそうになったのですが、せめてこの旅行記だけは着地点を見つけないと…!と思っています。

夏休みの宿題にずっと手を付けていなくて、モヤモヤした気持ちを引きずってるような心地でしたw

 

というわけで、また1記事書いていきます!

 

前回の続き

hurrahurrahurra.hatenablog.com

 

ヨーロッパを出発し、トルコに寄り道し、インドに翻弄されつつようやくここまでたどり着きました。

今回の旅の目的の1つ、アーユルヴェーダ

 

昨晩泊まったホテルから徒歩15分くらいのところにクリニックはありました。

徒歩15分とは言ってもね、歩道がちゃんと整備されてるわけじゃないからね…車がビュンビュン通ってる側を歩いていくわけです。もう慣れました(慣れって怖いw)

 

とは言え、グルヴアーユルという街、ケラーラ州というのもあってか落ち着いた雰囲気です。物乞いをほとんど見かけない。

 比較的安心して歩くことができました。

まぁ車が相変わらず激しいけどw あと、側を流れる小川がもろに下水道で(全く整備されていない)、流れる水は灰色、むせ返るほどの悪臭が漂っていました。。

 

今回私がお世話になるクリニックはAyurtodayです。

私の友人が実際にここでパンチャカルマを経験しており、良い所だよ~とオススメしてくれていたのです。

 

たまたま見かけたこちらのブログ、大変参考にさせていただきました、、!

ayurcloth.com

 

 

そうしてクリニックに到着。

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中に入ると仕事の出来そうなサリーを着た秘書っぽい女性がやってきました。

ちょっと待ってて―とのこと。

 

待ってる間、別のおばちゃんがやってきてお水をくれました。

お水といっても温かいお白湯でハーブなのか香辛料なのか香り付きでした。

おー、アーユルヴェーダって感じ!お白湯は基本の飲み物だからね!

香りは私はイケる口でしたが、ダメな人は無理かも。ちょっと癖があります。少しトイレの芳香剤に近い香りかもしれないw おそらくお白湯が傷まないように防腐剤的な役割も兼ねているのかなーと思います。

 

しばらくしてお部屋に通されました。

お部屋は二段階のグレードがあって、私は安い方を選びました。高い方のお部屋はコテージです。


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狭いけど十分やっていけるレベルでした。

ただ少しみすぼらしい感は確かにあるのでリゾート的癒しを求めている人には向かないかも。

 

それからDrと初顔合わせ。若いけどとてもしっかりされている優秀な雰囲気を感じました。

ここでは挨拶だけでしたが、なんとこの日はDrの1歳の息子さんのバースデーパーティがあるそうで、ご家族だけでなくクリニックの従業員も招かれているそうで、是非わたしにも参加してほしいとお招きいただきました。

私だけでなく、もう1人患者さんがいるから彼女と一緒に~とのことでした。

 

もう1人の患者さんはフランス人の可愛らしい女の子でした。英語は話せますが、少し苦手なようでフランス訛りでなんとか喋ってくれました。フランス語ってほんと良いなぁ。。訛りなのにこんなに可愛らしく聞こえる(喋り手によるのだろうけど笑)

 

Drのお宅はクリニックのすぐ裏にあり、インド社会において非常にハイソな暮らしをしているのが見てすぐ分かりました。とても綺麗でなかなか豪華なおうちでした。

軒先で広げられたテーブルではお手伝いさん達がせっせとバースデーランチの用意をしていました。

 

お宅にお邪魔すると、本日の主役のダルシャン君がお母さんと一緒に食事をとっていました。(外のランチは招待客のためのもののようでした。)

Drの奥様である彼女もクリニックの医者です。美しい女性の方でした。6歳ぐらいのダルシャン君のお兄ちゃんもやってきました。賢そうな男の子でした。

Drのお母様や親戚やお手伝いさん皆、私たち入院患者にとても感じよく挨拶してくれました。

まもなくダルシャン君のバースデーパーティ開始。

ミッキーのデコレーションケーキがやってきて、ダルシャン君を抱っこして家族揃って並んで、家族から挨拶。そしてバースデーソングを歌ってケーキの蝋燭の火を消しました。

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いやーなんて絵に描いたような幸せな家族なんだ!

キラキラした幸せオーラがそこら中に溢れていました。何より1人1人が生命エネルギーに溢れているような感じがしていて、これがアーユルヴェーダの力なのか…!と密かに感服していました。

 

私たち入院患者は食事制限のため普通のランチやケーキは食べる事ができず、フルーツの盛り合わせが代わりにふるまわれました。

いいんだ、、、幸せムードはお裾分けしてもらったから、、、(食いしん坊)

食べられない私たちはケーキのセレモニーが終わったらすぐ退散しました。

 

別室でランチをいただきました。

野菜中心のあっさりした食事。美味しかった。


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フランス人の女の子はソレンナちゃんという名前で、お互いの事を話しながら食事しました。

彼女はお友達の紹介でパンチャカルマ受けに来たらしい。1か月滞在とのこと!

世界に各国からこんなインドの片田舎にわざわざ来てるのね、、、地元の人のためのクリニックであるけど、外国人の受け入れにも随分慣れている様子のクリニックでした。

 

それからしばらくして、Drからのお呼びがかかりました。ついに面会!!

私の体調、これまでの生活習慣、食事、生活スタイル、仕事などを聞かれました。

それから脈診!待ってましたー!わくわく

私の左手首の脈を触りながらフムフムと言い、下瞼の色、口の中も見られました。

そして横になり、お腹の触診。何か所が探りながら軽く圧をかけていき、1、2か所ほどピンポイントに痛みを感じました。それを見てフムフムと言いながら、脈診、触診は終わりました。

 

結果、分かった事は、私のメタボリズム(新陳代謝)はちょっと深刻な状態になっており、それが身体のあらゆる症状を起こしているのだとのことでした。

うむ、確かにお腹の調子があまり良くないし、お通じも良くない。

運動不足である点、ストレスを抱えている点も、特にこっちから何にも言ってないのに言い当てられました。

 

このままほおっておくと、私の女性性や健康に深刻な影響が及び、1、2年もすると甲状腺に問題が発生するかもしれないと言われました。

(2年前ぐらいに甲状腺の腫れを指摘され検査しましたが、その時は特に問題なく良性だと言われました。でもずっと心配で、これを機にDrに相談したんです。)

 

私の入院期間は1週間。でもそれじゃ全然足りなくて、メタボリズの改善には21日間のデトックスが必要だよ、とのこと。

ですよね~わかっていました、、、脈診だけでも受けれたらいいかなーなんて思ってたんですが、診る側からしたら不十分ですよねー、、

 

でも今回はその代わりにお薬を処方するから、退院した後もそれを飲み続ける形で体質改善をしていこう、という方向になりました。

 

なんて優しい責任感のあるDrなんだ!!退院したらその場でバイバイではなく、患者が退院した後の事もちゃんと考えてくれるなんて!!医者の鑑やー!!!

 

感動を覚えながらDrとの面会は終了。

これから1週間、オイルマッサージ、食事、お薬を続け、可能であれば腸内洗浄をしていく事になりました。

 

有難いDrとの面会を終え、まもなくすぐにオイルマッサージへ連れていかれました。

薄暗い部屋に入ると、でかい木の台がどーんと構えており、ちゃきちゃきとしたおばちゃん2人が立っていました。

服を脱ぎ、何なら青い紙を渡されました。

青いふんどしでした。青フン。ふんどしは既に経験済みなので全く抵抗感ないぜ!(何の自慢やw)

青フンを身に付け、でかい木の台に横になり、おばちゃんペアーが楽しそうに談笑しながら私の身体にオイルを塗りたくっていく。

タミル語で何を喋ってるのか全く分からなかったけど、いきなり私の名前を聞かれました。

モモコだよ、と答えると、「モモコか~」と言って、これまで来院した日本人の名前を挙げ始めました。日本人の名前って珍しく聞こえるんだなぁと彼女たちの会話の聞きながらしみじみと思いながら、結構されるがままにオイルまみれになりつつ身を任せていましたw 

 

オイルマッサージが終わると側に併設されてるシャワールームに連れていかれ、何やら薬草でできた粉を水で溶いたものを身体に塗り、それでオイルを落としていきます。最後にお湯で流して終わり。

仕上げに頭頂部と額に粉をポンポンと塗られました。これ何?って聞くと、お薬よ、と言われました。

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乱れ髪ですいません…まぁこんな感じで塗られてました

 

ヨガでも額や頭頂部のチャクラが~とか言うもんなぁ、、チャクラ開眼と関係があるような気がする、、、(詳しい方いましたら教えてください)

 

終わると身体がフワフワと楽になってとても気持ち良かったです。マッサージラブ。

 

終わったら夕食が準備されてて、満足した気持ちで食べました。

あーインド来てよかったなぁ、ここまで長かったなぁ。

 

しばらくここでゆっくりとパンチャカルマ生活送る事になります。

のんびりと次回へ続く。

 

hurrahurrahurra.hatenablog.com

 

おっさんがスカートを履く国ケラーラ〜安上がり寄り道紀行

デコトラバスに揺られ、ついに目的地へ!

hurrahurrahurra.hatenablog.com

 

 

到着したのは小さなバスターミナル。

さすが観光地。普通の公共バスだけじゃなくたくさんのデコバスが往来しています。

そこそこ綺麗なデリやレストランもある。ふむふむ。

 

この時点で夕方遅く、事情があってクリニックには行けなかったので、この日は周辺で一泊する事に。

アポなし宿探し初めてだ。。。

 

GoogleマップやBooking.comを駆使して、なんとかシングルで800ルピーの宿を見つけました。

ちょっと不気味な雰囲気でしたが、オーナーと喋って怪しげな感じはしなかったのでまぁいっかと決めました。(別にフレンドリーではなかったけど、実直さは感じた。)

 

まだ外は明るかったので、近くのお寺を見に行ってみる事に。

 

観光客がたくさん!!!

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日本でいう金毘羅さん参りみたいな雰囲気を感じます。

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お寺で真剣に祈る人々。

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ヒンドゥー教ってこの国の人々にとってすごく意味があるものなんだなぁ…と真剣に祈る人達を見て、しみじみと思いました。そんな人達の中において私は結局ストレンジャーだなと思わざるを得なかった。

 

20歳ぐらいの時、友人に連れられてNYの教会のミサを見に行ったことがあるんですが、神の愛に心から感激して涙を流している人を沢山目にして衝撃を受けたのを覚えています。

友人は日本人でクリスチャンだったのですが、彼も神の愛に感激して涙を流していた一人でした。今ならそんなの国籍関係ないって思うのですが、当時はまだ分かっていない事が多すぎて若かった。

だから、自分と同じ日本人という属性の彼が、自分には理解できないもののために深く感激して涙を流していた事に大きな衝撃を受けたし、自分には分かっていない事がまだまだあまりにも多すぎるんだというのをどこか痛感した出来事でもありました。

あの時の体験により「宗教」というものを存在を意識するようになり、以降私の思考に大きな影響を与えました。

 

インド舞踊のステージも。

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そして、ずっと気になってた事。

 

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おっさんが軒並み揃ってスカート履いてる。

しかもロングスカートの裾をたくし上げて膝丈バルーンスカートみたいにしてる人もいる。

 

おっさんだけじゃなくって、若いにーちゃんも履いてる。

でもおっさんのイメージが強烈すぎる。。。

 

あのスカートの下にパンツは履いてるんだろうか、いやここはインドだぞ、そんなの履いてるもんか

という事は…

考えるの止めときましょうw

 

ググってみた。

「ルンギ」という南インドの男性定番ファッションらしい。

 

flowsha.blogspot.com

 

おっさんがスカートを履く国、ケラーラ。

でも、涼しくて楽そうだなぁ、いいなぁ、やっぱ民俗衣装って気候に適してるんだなぁ、とか考えながら寺を後にしました。

 

 

帰り道にフルーツ屋さんで買い物したら、お釣りを返したもらえなかった、、、うがー!!!(怒)

量り売りのお見せで、「15ルピーと30ルピー!合計45ルピーね!」と言われたので、10ルピーのお釣りが欲しいので55ルピー渡すと、お釣りが返ってこない、、、

あれ?お釣りは?って聞くと、いやいや、あれは55ルピーだったんだよって。アンタ私の目の前でバッチリ値段確認したやないか!!

この時なぜか怒る事ができなくて、ニヤニヤするおっさん達に何も言えなかった。あー思い出しただけでムカつく!!!!

ケラーラに来てからちょっと油断してたけど、ここはインドなんだった。久しぶりにボラれた経験になりました。

 

悲しくなり、晩御飯食べてホテル帰ってふて寝しました。

明日を楽しみに。薄暗い不気味なホテルで一晩過ごしましたとさ。

 

明日はついに念願のアーユルヴェーダ

 

 

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生産性の奴隷となるか、「ともに生きる」か~NHKスペシャル「ともに生きる~障害者殺傷事件2年の記録~」鑑賞

あの凄惨な事件から二年。

まだ二年しか経っていないのか、とこうしてみると驚きます。

この二年の間に本当に色んな事が変わり、感覚的には五年経ったような気がしています。

物事や人々の認識を一気に変えてしまう、それほどの衝撃があの事件にはあったのかもしれません。 

 

www6.nhk.or.jp

NHKスペシャル「ともに生きる~障害者殺傷事件2年の記録~」鑑賞しました。

 

未だに頑なに主張を変えず、意思表示困難な重度障害者を「心失者」と自ら作り出した言葉で形容する被告。

それに対して「いいや、心を失くしてはいないよ。」と語るのは和光大学教授の最首悟(さいしゅさとる)氏。彼には重度の障害を持つ娘さんがおられます。

最首氏の投げかける言葉を軸に、あの事件以降2年間それぞれの人々の歩みを追うというものでした。

 

重い障害を持つ当事者は意思疎通が困難なために本人の意志は無視されがちです。そんなこれまでの個を重視せずに押さえつける管理型の支援から前進し、「見えにくかった本人の意思」を汲み取り丁寧に向き合っていこうとする周りの人達の働きかけを通じて、当事者が生き生きと感情の輝きを見せ始める過程を番組では見せてくれました。

まるで「心失者」という言葉を使う被告に向けて、「いいや、そんな事ないよ。見てごらん」と語りかけるように、最首氏の穏やかな語り口かのような優しい目線を感じました。

 

当事者と関わる事を通じて何かを感じ学び取ろうとする人達、

障害者の存在を「必要だ」と言い切り地域で共に働く場を作った人、

事件がきっかけで転職し障害者と向き合う事を選んだ人、

その場に当たり前にいる家族として愛おしい眼差しを娘に向ける最首夫婦、、、

「ともに生きる」事を実践する人々を映し出していました。

 

 

NHKスペシャルの番組内で、被告に接見した学生が「あの主張に引き込まれそうになるのを感じた」と述べていました。

植松被告の主張は、純粋に経済的観点から見たら「正しいのだろうか」。

「生産性の無い」障害者は生きるに値しないのか。

障害者は周りを不幸にしかしないのか。

日本経済において「生産性の無い人間は生きる価値が無いのか」

 

私も正直なところ、彼の言葉に引っ張られそうになる気持ちを理解できます。

 

私は前職で、障害を持つ方が通う生活介護施設で現場スタッフとして勤務していました。

特に重度の方向けの施設だったので、利用者のほとんどが障害区分6という障害の認定レベルが最も高い重度の障害を持つ方ばかり。私の感覚ではもはや障害区分6という括りを超えるのではないかと思うほどの重い障害を持つ方さえもいました。

一歩間違えればいとも簡単に命を失ってしまうような人も沢山おられました。

意思表示が困難な本人を前にして、「生き長らえているのは結局家族や周辺の者のエゴでは無いのだろうか」「本人やご家族もこんなに大変な思いをするのならいっそ楽になった方がいいのではないだろうか」と在職中自問自答する事も何度もありました。

 

日本には数多くの社会問題があり、予算が厳しい状況にあるのも分かっています。

あのような強い主張を前にし、更に多くの人が被告の意見に賛同しているのを見ると、支援者である私でさえ心が折れそうな気持ちを覚えました。いや、支援者として側で色々見てきたから尚更だったのかもしれません。

しかし、それと同時にその主張に対して決して譲れないものがあります。私の心をへし折られることはありません。

 

私は経済のプロではないですが、純粋に経済的観点から見れば彼の主張は「正しい」と言えるかもしれません。

しかし、彼の主張に基づいた経済活動を行なっていくとすると、「生産性が無い」という理由で切り捨てられる層がどんどん下から上に向けて厚みを増していくでしょう。

明日は我が身。いつ切り捨てられてもおかしくない。常に殺伐としながら追い立てられるように生産性を高めていかなければならなくなり、失敗が死を意味する時代が来るでしょう。

極端な表現を敢えてしましたが、「生産性の無い」人間の切り捨てを簡単に容認するとはそういう事です。

 

最近「生産性」を高める事がブームになっています。

「生産性」を高める事自体悪い事ではありません。むしろ必要な事です。

しかし、被告の言葉に引っ張られる人が多かったように、多くの人達が「生産性」の奴隷となっているように、私は時々感じます。

 

 

番組中で、「障害者は世の中に必要だ」と断言した人がいました。

私もその言葉に強く同意します。

 

ミヒャエルエンデの「モモ」という作品をご存知でしょうか。

モモ (岩波少年文庫(127))

モモ (岩波少年文庫(127))

 

作中で、モモはあまり物も言わない(挙動不審な)不思議な子供として描かれています。

でも、モモの家を訪ねて自分の悩みをモモに聞いてもらうと、なぜだか分からないけど元気が湧いてきて不思議と悩みが解決するのです。モモは悩みに特にコメントすることなく、ウンウンと聞いてるだけなのに。

 

モモの家を訪ねていたお友達は、どこかの大会社が配る怪しげなタバコを吸った事で、都会で稼ぐために仕事に熱中するようになり、モモの家を訪ねることもなくなります。

彼らは働く事で豊かになっては欲しいものを買って消費、更に消費するためにまた働き、また更に消費する、、といった終わりないループに陥り、心を殺し魂が死んだように働き続ける、、、

 

 

今私たちは社会において好きで消費がしたくて働いてるわけじゃなく、生産性を高めて働かないともう経済が回らないのは事実です。

先ほど述べたように生産性を高める事自体は悪いことではないし、私も生産性を高める事は好きです。

けれど、生産性が無い人を真っ向から否定する事は先程も述べたように自らに刃を向けるのと同じ事になりかねません。

 

だから、モモのように特に何も言わないけど話を聞いてくれるような存在が必要なのです。

ただ、そこにいるだけで周りの人が自然と優しくなるような存在。

生産性なんて関係なく、在るがままの自分を全肯定する事が人生のミッションであるような存在。

生産性なんてどーでもいいやガハハハーって笑い飛ばしたくなるような気持ちにさせてくれる存在。

私はそれが重い障害を持つ人達がこの世に存在するのに十分な理由だと思うのです。

それが彼らがこの世に生まれてきたミッションであり、彼らはメッセンジャーであると私は思っています。 

 

少なくとも、何かしらの理由があって生まれてきた以上、彼らを排除する事は決して現実的ではないし、障害者を見えない存在にする事は決してリアルではなくそんな社会はただの虚構に過ぎません。

 

 

「ともに生きる」事は難しいようで、実はとても簡単だと私は思うのです。

重い障害があろうとなかろうと、人間らしい「心」がそこに在るのだと気付くことができた瞬間、見えない壁が少しずつ崩れていくのかもしれません。

 

そのハードルを下げていく事がこれからの支援者の役目なのだと私は思っています。

 

 

希望を感じました。ともに生きましょう。