Hurra! Hurra! Hurra!

デンマーク、ドイツでの海外生活を経て感じた事を発信します。また自分の専門である障害者福祉に関連した発信もどんどんしていきます。

発信し続ける事~飛騨市長の新聞記事を読んで感じた事

先日Twitter上で見かけたこの記事。

 

 

日本の政治家の人がこんなに率直で誠実に表明するのなんて、初めて見たかもしれない。

www.city.hida.gifu.jp

 

TwitterFacebookページもあります。ソーシャルメディアを積極的に活用しているところにも好感が持てます。

 

今回の記事のもととなったFacebookからの記事

障がいのある次男の誕生日に寄せて

 

今回、私は都竹市長のこの新聞記事に強く共感し、このような信念を抱いた方が市長として街づくりのトップに立たれた事を、そしてこのような意見を新聞記事を通じて発信してくれたことをとても嬉しく思います。

 

都竹市長は最重度の知的障がいを持つ自閉症児のお子さんをお持ちとのこと。

(前略)…自分自身も障がいのある子を持って大きく変わったと思う。

 次男のいいところはどこだろうと毎日見ているうちに、同じように職場の部下や同僚を見るようになり、強みを伸ばす組織運営をするようになった。弱い立場の人たちを意識するようになり、障がい児者だけでなく、病気や生活困窮、ひとり親家庭など、厳しい状況にある人たちを助けたいと思うようになった。

ー素描「障がい児の親として」岐阜新聞2月11日付より引用

 

私が特に強く共感を抱いたのはここです。

なぜなら、重い障がいを持つ人を社会にどんどん巻き込んでいくべき理由がここにあるからです。

 

 

私たちの社会は今日非常に目まぐるしく進歩しています。置いていかれないようについていくのに時々疲れを感じるほどに。

そんな中で、障害のある人と関わりを持ってみると、テクノロジーや情報の進化はものすごいスピードで進んでるけど、人間が生きる速度そのものは全く変わっていないなぁと気付かされます。

そして、何かに追い立てられるように生きている私たちと、障がいがあって様々な事に支障があるもののマイペースにのんびり生きている彼らと、果たしてどちらが健全なのか、と度々考えさせられることがあります。

 

市長が言っていたような、重い障がいを持つ彼らのいいところはどこだろうという観点で見ると、誰が何を言おうとマイペースに過ごすのが非常に得意であるとも言えるかもしれません。

私もかつて人と比べて自分で自分を疲弊させていました。誰かが何かを言ってきたわけではないのに、SNSなどから流れてくる膨大な情報で一人で勝手に劣等感を感じ、知らない間に終わらないパワーゲームを繰り広げ続けてきました。

支援者として重心障がい者の人達と接し始めて、彼らの周りで流れるゆっくりとした時間にハッとさせられた瞬間の衝撃は忘れられません。 

 

 

また、弱い立場の人を意識するようになるという点も、彼らを社会にどんどん巻き込んでいくべき理由のひとつです。

 

問題を抱えた人をひとつの場所に隔離して管理するのは簡単です。

でも私はそれが健全だと思いませんし、世の中のリアルじゃないと思います。

 

以前ルームメイトだったドイツ人の女の子がこう言っていました。

彼女はミュンヘン出身ですが、ベルリンの方が好きだと言います。

ベルリンの方が明らかに汚いし、浮浪者も沢山見かけるのが日常です。

ミュンヘンにはそんな人はいないし、街はとてもきれいだとのこと。

でも、ミュンヘンにも絶対浮浪者はいるはずなのに、じゃあどこにいるんだと。そんなの世の中のリアルじゃないし、そういう意味ではベルリンの方が健全に世の中のリアルを表していると。

国、人種、セクシャルアイデンティティ、ハンディキャップなど、様々な人が存在しそれがベルリンという街を個性的なものにしている。

ベルリンほど多様性に富み且つマイノリティの人でも生きていきやすい街はありません。

 

 

私も支援者として障がいを持つ人達と接するようになり、彼らの人となりや、ご家族の思いに触れさせていただきました。

私も市長が自身のお子さんを通じて経験されたことと同じような気付きを得ました。

 

今の世の中、障がいがあるからと言ってあからさまに差別を受けるような事はだんだん減っています。
(それは数十年間、多くの当事者、ご家族、支援者が見えない差別と闘ってきたからです。)

施設などのバリアフリー設備は多くの場所で整ってきました。

それでも、完全に生きやすさを感じられるようになったわけではないと思います。

施設の設備を作り替えるのはある意味簡単です。大がかりな工事をしてエレベーターや優先トイレを設置する事自体がハンディキャップを抱えた人達に対する配慮をしている、という公共の認識であると捉えられます。

 

ハード面を整えるのはもちろん大切です。しかし、工事をしたらそれで終わりというわけではありません。

社会で生きていくためには多くの人とともにコミュニティに属する必要があり、マイノリティである事や弱い立場であることを理解してもらい協力してもらう必要があります。

人の心が一番大切だ、と私は思うのです。

 

見えない差別は、そのマイノリティの立場に対する知識や関心の欠如から起こり、それがその立場の人達への共感の欠如を形成します。

分かりやすい例を挙げるなら、日本人しかいない街に全く日本語の分からない人がいるとします。

日本語が分からないから、買い物すらもできないほどにその街での生活に不便を感じる。

これじゃあフェアーじゃないよねと誰かが気付いて、英語でのフォローが始まり、外国人の人でも生活に不便を感じない環境が整っていきます。

 

車いすに乗っている方でも、視力聴力に不自由がある方でも、知的精神的ハンディキャップを抱える人でも同じ。

社会に出て実際に不便を感じる状況に遭遇し、それを改善するという流れです。

 

これだと、ハード面(施設のバリアフリー設備など)のイメージを想起しやすいと思うけど、制度に関しても同じ。

子育て中の親御さんが保育園落ちたらなぜ大変なのか、シングルペアレント家庭の親御さんの生活がなぜ大変なのか、障がいを持つ子の親御さんが一人の時間をなかなか持てなくてなぜ大変なのか、生活困窮者がなぜ貧困から抜け出せないのか、

 

制度によって不便を感じる状況に遭遇し、それを改善する…という流れになったらいいんですが、これがなかなか上手くいかないというのが今私たちがニュースなどで見聞きしている状況だと思います。

これは、制度により感じる不便が多くに人達の目に見えないからです。

それは、そこで不便を感じている人達に対する理解や共感が欠如しているという事になります。

 

 

 私が冒頭でシェアをしたツイートを見ていて、障がいを持つお子さんの親御さんであったり実際に弱い立場にある当事者の方々からのリプライが目立っていました。

 

市長のように弱い立場に理解のある方が街づくりの実践をするポジションに立ってもらえるのが一番ではあります。

もちろん経済活性化なども大切です。なので、各コミュニティにおける優先順位というものもあるかもしれません。(そう思うと街づくりってめっちゃ大変ですね!!)

まぁ後はコネの関係もあったり(案外これが一番だったり?)、

なので、実際はなかなかそうはいかないというのが実のところだと思います。

 

でも、実際にマイノリティや弱い立場にある当事者は、困難にぶつかり実際に見知った事を発信できます。

あのツイートのリプライ欄を見てそれを確信しました。

 

今は誰もが思いや考えを発信できる時代になりました。

昔はそれができず、悔しい思いで唇を噛みしめてきた人が数多くいたはずです。

泣き寝入りをせざるを得なかった人も沢山いるはずです。

でももう泣き寝入りしたままでいなくてもいい。

見えない差別を発信して可視化する事ができる時代なんです。

 

当事者として、または当事者の思いを代弁する立場として、社会を変えたいと思う人は沢山いるはずです。

でもみんながみんな、街づくりや制度づくりに携われない。

ならば、実際に見知って体験した思いをどんどん発信していきましょう!!

それが世論形成につながり、世の中を動かしていきます!

 

私は障がいを持つ人ではありません。

そんな私が思いを発信する事は、果たして当事者の思いに適っている事なのだろうか、

勝手な解釈や思い込みで、彼らの本当の思いをかき消してはいないだろうか、

そう思って発信をためらう事もあります。

 

だけど、もう私には黙っているような時間はないんだと気付きました。

ためらい、悩み続ける事が発信する立場としての使命なのだと思います。

今回の都竹市長の新聞記事に強い勇気をもらうことができました。 

 社会を変えていくのは人の思いであると信じて!