Hurra! Hurra! Hurra!

デンマーク、ドイツでの海外生活を経て感じた事を発信します。また自分の専門である障害者福祉に関連した発信もどんどんしていきます。

異国の地で文化的バックグラウンドが当事者に影響を及ぼすケース

以前、インターンシップ先のスタッフと話をしていて、利用者さんの家庭背景の話になりました。

 

利用者さんの中には、完全な自立生活が難しくても、少しでも家族から自立するためにシェアハウスやケアホームのような場所に入居を選択する人もいます。

 

今回話に上がった人は、シェアハウスの入居を希望しているけど家族が拒否をしているためにそれが叶わないとのことでした。

かと言って家族が手厚くその人をケアしているかと言えばそうではなく、食事など最低限の生活行為だけ世話して後はほぼ放置状態に近いそうです。

あまり家庭状況が芳しくないようで、それが影響しているためか本人さんも精神的に不安定になりがちとのことでした。

ちなみにその方は知的・精神的ハンディキャップがありますが、サポートがあれば自立生活を送れるかただと、私の目から見てもそう思いました。

 

障害を持つ息子をほぼ顧みない家族が、なぜ彼を手元に置きたがるのか。

それは、彼を手放すと行政からの経済的支援がなくなるからです。

ドイツの制度では障害の度合いによって変わりますが、自宅で介護をする場合行政からお金がもらえます。特に障害が重いケースだと金額が1400ユーロほどなる人もいます。(肢体不自由、発話困難、腸瘻)

 

今回話に上がった方でも、まぁおそらく1000前後ほどの支援金を受け取っているだろうと察します。

 

悲しい事に実はそんな人は珍しいケースではなく、今のところでこの1か月の間、私が見聞きしただけでも3人はいました。

更に悲しい事に、本人さんの様子を見ていたらなんとなくその辺り察してしまいます。本人がいかに家庭で大切にされているかは普段の様子、身だしなみに自ずと現れるものです。

(別の言い方をすれば、突然身だしなみにふるまいに変化があれば、その人の家庭に何か異変が起こった可能性があります。本人の普段の様子はその家庭状況のバロメーターでもあるのです。)

 

更に興味深い事に、その3家庭全てトルコ系移民の家庭でした。

 

トルコ系、またはアラブ系の家庭は欧米圏の家庭に比べて文化的背景のためか非常に保守的です。

家庭のことには余所者には口出しをさせない。対外的なことを自分の家庭に受け入れるのに非常に抵抗を覚える家庭が多いようです。

 

家族にハンディキャップを抱えた人がいる場合、共倒れにならないためには行政サービスや福祉サービスに良いアクセスを持つことが重要です。

ただ、人によっては気持ちの面で簡単な事ではないことも理解できます。

ヘルパーや訪問看護(ドイツでも同様のサービスはあるとのこと)などは、家に上がってもらってケアをしてもらう必要があるため、他人を家に上げることになるのです。

なかなかオープンになれない人もいると思います。

私の前職でもそのような親御さんの意見を実際に聞いた事があります。 

 

中東系の家庭は、家族間、親類間、またはおそらくコミュニティ内のつながりは深いけれども、それ以外のところからアウトサイダーを受け入れる事に抵抗を覚えるものなのだろうと推測しました。

 

 

また、男尊女卑の考えも強く残っているとのこと。

女が家庭を守るのは当たり前、表立ったこと、対外的な事は全て家長である父親の役割のようです。

 

とある利用者の方で30年ほどベルリンに住んでいるのに、いっさいドイツ語を喋ることができないお母さまを何人も知っていると、スタッフは言っていました。

家にいて、家事をするのが基本で外のことに一切関与する必要がない(またはさせてもらえない)、

またベルリンにはエリアによってトルコ系やアラブ系のコミュニティが非常に大きく、強く根付いています。ノイケルン辺りがそれに該当するでしょう。歩いてたらそこらじゅうにトルコ系、アラブ系のお店を見かけます。

そんなコミュニティがあれば、ドイツ語が話せなくても間違いなくベルリンで容易に暮らしていけます。

(ベルリンはある意味オープンで自由を許し過ぎているとそのスタッフは漏らしていました)

 

また、スタッフが年に一回家庭訪問をすることもあるそうなのですが、

とある家庭ではお父さんが男性スタッフばかりから話を聞こうとして、同席していた女性スタッフには口出しさせようとしなかったこともあるそうです。

 

 

その結果は容易に想像できるのですが、

まず、行政サービスや福祉サービスからのアクセスが悪くなります。

言語的ハンディキャップも関係していることは間違いないでしょう。日本でも在日外国人を巡って近年似たような問題があがってきています。
 

更に、そもそも家庭のことに外野に口出しさせようとしない家族の態度により、障害を抱えた本人が表に出る機会が減ってしまう。

 

「家にいればいいんだ、誰にも迷惑はかけていない」という考えの元、本人のQOLを無視した家庭環境となってしまう、、、

 

という流れのようでした。

 

 

これはトルコ系家庭に関わらず、日本でもドイツでも同じようなケースは間違いなく存在しています。実際日本でも似たようなケースを目にしたことがあります。

ただ、文化的背景がここまで障害を持つ当事者の生活に影響を及ぼしていたとは思わなかったので、驚きました。

 

話を聞いていたらほんの一昔前の日本のようだなとも思いました。

 

 

移民として外国に移住するに当たって、その土地の文化にある程度適応する必要があると話は締めくくられました。

また別の方の家庭は、トルコ系の家庭なのですが非常にオープンでその利用者の方のためのサービスをどんどん受け入れているそうです。

自分がどこの出身であろうと、その土地で生きていくためにはその国の言葉を使い、その国のサービスを十分利用し、その土地の人達と協力していかねばなりません。

それだけじゃなく、受け入れる側も受け入れる了承を出した以上のその責任を果たすべく、サービスのアクセスしやすさを向上しなければならないし、どこの出身であろうと平等に接する態度を持ち合わせなければなりません。(ベルリンはその役目を十分果たしていると思います)

 

結局、双方の努力なしには成り立たないよね、何事も。という結論となりました。

 

 

どのような文化的バックグラウンドや価値観を支持するか、これに絶対的正解なんて存在しないし、もちろんそんな事を誰かが指図される権利なんてない。

でも、自分の慣れ親しんだ国を離れ、異国の地に定住する事になったなら、現地のルールに従っていく必要がある。

 

もちろん、彼らは一切ルール違反なんて犯していない。でも、何事も自分たちで解決する、外部に対して閉ざした態度をとり続けるのは、どこか悲しいなと思ってしまったのです。

 

もちろん、そんな事わたしが彼らに指図なんてできない。でも、なんとなくこのままじゃいけないような気もする。でも、結局のところ他人を変えることなんてできない。

多くの人達がそんな思いを周囲で抱きながら30年ほどがあっというまに経過したのかもしれないなーなんて思います。

特に難民のように、「別に来たかったわけじゃないけど母国を離れざるを得なかった」という事情があると、精神的に余計に閉じてしまう人も多いかもしれません(みんなが必ずしもそうであるわけではありません。努力してオープンになろうとされてる方も多いと思います)

 

 

欠いているのは対話の場だったり、交流の場だったりする。

 

面白いイベントが開催される記事を見かけました。

wsbi.net

 

案外足りなかったのはこういうシンプルな交流の場だったのかも。

応援しています!

 

 

支援者だけではどうしようもできないケースがあるのだという新たなケースを目にする機会でしたが、

移民、難民について考えるケースともなりました。

日本でももしかすると自分が知らない所でこのようなケースが存在しているのかもしれない。

自分のアンテナをこれからに向けてより敏感にすることができた機会でもありました。