Hurra! Hurra! Hurra!

デンマーク、ドイツ、アジアバックパッカーを経て感じた事や体験談を発信します。また自分の専門である障害者福祉に関連した発信もどんどんしていきます。

思わぬ形で癒された。インド旅行の醍醐味は列車にあるのかもしれない~安上がり寄り道紀行

悲劇の街ジャイプールをついに脱出します。

hurrahurrahurra.hatenablog.com

 

前日のうちに駅に行き(リキシャ―2人組に頼んで寄ってもらった)、無事に寝台席を購入できました。

 

外国人用の窓口らしい。

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列車の予約がこれまたややこしいシステムなんです。

詳しくは他の方がまとめているサイトを参照していただきたい。

 

とりあえず、席が売切れたらウェイティングリストというものに振り分けられ、

当日の4時間ほど前にウェイティングリストのナンバーが若い順から繰り上がっていくらしい。

軍人優先の枠、女性優先の枠、外国人優先の枠、などの優先枠で空いてる席が発車の4時間前にさばかれて、ウェイティングリストの繰り上がりが発生するシステムのようです。

ほんと階級社会だね、インドって。。。おかげで色んな事がややこしい。

 

なのでおそらく私が外国人だったので、前日にも関わらずすんなりと席が取れたのだと思います。

しかし、このややこしいウェイティングリストの仕組みをこの時点で分かっていなかった私。外国人は窓口に行けば自動的に席が取れると思い込んでいました。

そして、ここからしばらく経った後、列車の席を巡って痛い目を見る事になります。お楽しみに!w

 

 

リキシャ―が来なかった上にインド人不信になっていた私、ホステルから炎天下の中、喧騒を歩き40分ほどかかりました。

距離的には20分なのですが、歩くと何割増しで時間がかかります。

道路は完全に車両優先。車は絶対に歩行者のために止まりません。

 

問題:じゃあどうやって歩道を横切ったらいいの???

 

答え:みんなで渡れば怖くない!!!

ですw

 

まず、いかにも慣れていそうなインド人が今にも歩道を横切ろうとしているのを見つけます。

後は、その人が車の間を縫って歩道を横切ろうとするのにくっついていくだけです。

すると、あーら不思議!あんな危険な道路でも無事に渡れるぞ!!!!

ほんとみんな命知らずかよという勢いで見事にスルスルと歩道を横切っていきます。

 

しかしインド人、マジでみんな無意味にクラクション慣らすんですよ。

ちょっと前方の車両がもたついたらすぐ慣らす。

みんな我先に進もうとする事で頭がいっぱい。なのでインドの交通事情は車両優先ではなく、我優先と形容した方が正しいでしょう。

そんなんだから余計に混雑するんだよ、と誰か教えてやってくれ。。。

 

とにかく駅に到着。

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列車を待つ人々。基本的に「地ベタリアン」ばかりです笑

 

 

さて、ようやく次の目的地に向かって進める。。。次はジャイプールからムンバイに向かいます。AというのはエアーコンディショナーのAです。

 

寝台列車の席のクラスは1A、2A、3A、スリーパー、そして指定席無しのGLと分かれています。

さすがにGLで一日近く過ごすのは無理だと思い、安いスリーパーか3Aをいつも取っていました。

 

今回のムンバイ行はスリーパー。やっぱり安上がりで済ませたかったので。

 

そうしてやってきた列車。

スリーパーはエアコンなしです。なので窓にガラスはなく、代わりに格子があります。

外からの見た目、まじで監獄

分かってはいるつもりでしたが、例の如く結構引きました笑

「ここに収監されるのか…」と覚悟を決めなければなりません笑笑

 

 

そして乗り込むとこれまた例の如く悪目立ちする私。

外国人がこんなとこで何やってるんだ的な視線です。

スリーパーはインドの庶民が主に利用する席なので、裕福な外国人がわざわざ乗り込んでくるのは珍しいことなのかもしれないし、外国人自体が珍しいのかもしれません。

とにかく視線が痛かった。

 

私の席の番号には既に先客がいました。子供連れのお母さん。

そこ私の席なんだけどと声かけると、向かいの席(おそらく元々彼女か子供の席)が空いてるからそこに行けばみたいなジェスチャーをされました。

いいよ、別に、私も気にせん。

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外を見つめる子供。

 

 

そして列車は出発。

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私の席は3組の子供連れの親子が座っていました。

これから24時間近くを共にする間柄となります。

 

私はやはり少し警戒していました。

インドの列車でも物盗りには十分注意を、と聞いていました。

それに連日の色々ですっかりインド人不信になっていた私。

この時点ではあまり人々と交流する気にならず、窓際だったので外を見つめていました。

 

窓から流れ込んでくる風を楽しみながら景色を楽しむ。。。。

と思っていたのですが、これが大間違いでした。

 

外の気温は40℃。窓が全開で爆走する列車。

外から流れ込んでくるのは爽やかな風ではなく、灼熱の熱風でしたw 

ブワアアアアアと絶え間なく私の顔に熱風が吹き付けます。

例えるならドライヤーの温風が顔にそのまま向けられているようなものです。

 

インドの暑さに慣れつつあった私。はじめはまだ大丈夫だと思って外の景色を見ていました。

が、目の前の景色も、ほぼおんなじ茶色の光景。。。。

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それも新鮮に感じられなくなり、熱風の吹き付ける車窓にはもう用が無くなりましたw

なので2、3時間もしないうちに、スカーフを顔に被ってうたた寝をする(まぁ寝れないですけどね)という過ごし方になりましたw

まぁ、あれはあれで新鮮な体験だったんですが、もう一度経験したいとは思いませんねww 

 

そんな中で見ていた景色、

人のほとんど住まない茶色い痩せた土地ばかりでしたが、そんな中でテントを張り人里離れて暮らしている母子、またしばらく離れた所でテントを張って暮らす集団を見かけました。彼らの着ているものはボロボロ。裸足のまま、電気も無い生活をしている。

正直、ショックでした。テクノロジーがこんなに発達した社会であんな原始的な暮らし方をせざるを得ない人がこんなにも沢山いる。そしてそれが当たり前のインド社会。。。

 どんな思いで暮らしているんだろうと想像がつきません。あれを当たり前のものとして何とも思ってないのか、それとも理不尽さを感じているのか…結局わたしはこうして想像する事しか出来ない外野の人間で、この国において無力です。それを痛感せざるを得なかった。

 

 

そうやって数時間が経過。

「あと10数時間もあるのかー」と時計を見るのにも飽きた。

私の隣には小さな男の子が座ってました。

人懐こくて可愛かったので、ついニコニコと見つめていたら、男の子も私に興味を示してくれた。

そんな反応を微笑ましく見る彼のお父さん。そして見合わせる私とお父さん。

双方笑顔になりました。

 

これがきっかけで子供を介してお互いに微笑み合うようになり、そうすると相席の別の男の子が私に何か話しかけてきました。

ヒンディー語で何を言ってるのか分からない。隣にいたその子のお父さんに目をやると、ややたどたどしい英語で「『君の名前はなんていうの』だって」と教えてくれました。

ああ、モモコだよ、と答えると、男の子は「モモコ!」と嬉しそうに復唱。そして周りのみんなも反応しました。

へー、モモコかぁ、みたいな感じで話をしているようでした。

 

そこからどこから来たの、お仕事何してるの、旅行かい、と聞いてきてくれ、少しのあいだでしたが、和やかな会話の時間を過ごしました。

私たちの間にはほのぼのと温かい空気が流れるようになりました。

 そう、こうして私もようやくこの相席メンバーの一員になることができたのです。

 

 インドの列車旅行は1日がかりというのがザラです。

上等のクラスだと食事付きの席だったり、もしくは食事のデリバリー販売の業者がいます。

が、スリーパー以下は自分で食べ物を調達しなければなりません。

各停車駅にはキオスクがあったり売り子が立ってるので、一旦列車を降りて食べ物飲み物を調達しなければなりません。

(これが実は楽しい!!バラエティに富んだ色んなインドの庶民的な食べ物飲み物に触れる良い機会です)

 

相席の人達と仲良くなってきてしばらくして、また停車駅に着きました。

私は今回はいいやと思って座ってたのですが、席を立った相席のお父さん達が窓から私に「これいるかい?」と飲み物を差し出してくれたのです。

びっくりしたし、とても嬉しかった。

「いいの!?わぁ、ありがとう!」と素直に感激する私を見てお父さんは微笑まそうにしていました。

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ヨーグルトのドリンク。塩味とスパイスの香りが効いてます。ちょうど辛い揚げ物を食べた後だったので、スッキリ美味しく頂きました。

袋開けるのにちょっと手間取った笑

 

ああ、こうやって長い列車の時間を、束の間の団欒で過ごすものなのだなぁと理解しました。

不便で時間のかかるインドの長距離移動。狭いし暑いし、面倒なことも沢山。

だけど、こうやって出会った人達と家族のような付き合いをしながら、不便な場所だけどみんなで助け合いながらその場を楽しみながら過ごしているんだ。 

 

インド人らしい、下町っぽい温かさに初めて触れた瞬間。

インド人不信に陥った荒んだ私の心を癒してくれた大切な経験となりました。

この経験はインド旅行で大切な思い出の1つです。

その後も列車には何度も乗りますが、インドの列車で出会う人達の温かさに触れ、何度も助けられました。

 

 

その後、あれやこれや飲めや食えやのオンパレード。

自分が持ってた食べ物もあったし色々頂いて、もうお腹パンパンでしたw

 

そうして夜もふけ、乗客たちはポツポツと横になり始めます。(まぁ昼の時点で結構みんな好き勝手に横になってるんですけどね)

なぜか私は上に行くんだと指示され、もっとも楽であろう一番上のシートをゲット。

あれはお父さん達が計らってくれたのか、彼らの都合だったのかは分からないけど、ラッキーでした。

 

スリーパーはエアコンがなく、夜間の気温でも30℃超えます。

けどあんまそこまで暑さを感じなかったなぁ。

暑いけど空気が乾燥しているからなのか、それとも私が暑さになれたからなのか。。。

 

目が覚めたら朝の8時前。

相席の人達は私の目的地の駅より前で既に降りており、見知った顔が一人もいませんでした。代わりに新しい乗客がポツポツとまばらに座っていました。

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どこか寂しい気持ちになりました。

でも、これがきっと彼らにとって普通の事なのでしょう。

旅は一期一会。

 

 

インドの列車の旅は長距離だからこそ、のんびり気楽に楽しく過ごすのが鉄則なのだと思います。

その場に居合わせた者同士、お互いやりたいように過ごす。

下手に気を遣い合うわけでもなく、自然体。けど、どこか助け合っている。

「これ食えよ」と頼んでも無いけど買ってきてくれるその優しさ。「えっいらん」って思ってもやっぱり嬉しい。

乗客にはたまにひどく自己中な人もいるけど、それに対して遠慮なく文句を言う気概。そしてそれに応じる周囲。

 

そこには現代の日本が失った、人情味溢れた空間がありました。

例えるならば、じゃりんこチエの世界、大阪の昔ながらの下町みたいな感覚かもしれない。

そういえば大阪人もいらんことしいで、いらんことズバズバ正直に言いますねwインド人と大阪人、気ぃ合うかもしれませんw 私はそんな大阪が実は大好きです(まぁたまにめんどくさいですけどねwそれでも建前うわっつらの人とか個人主義の冷たすぎる人よりは1000倍マシです)

 

インド旅行に来た際は、是非列車に乗ってみてほしいです。

そして気概があれば是非、スリーパーに挑戦してみてください。

スリーパーはしんどいわと思う人が大半だと思うので、ならば是非3Aへ。

クラスがランクアップすると人々がより個人主義になっていきます。人は裕福だとやっぱそうなっちゃうのかもしれないですね。。。

なので、下町っぽさを是非という方は、スリーパーにチャレンジしてみてください。

(まぁどんな人に出会うかはその場の運次第なので、そこは自己責任で!w)

 

強者の体験談、是非聞かせてくださいね!

 

そして次回はムンバイへ。