語学学校に全く通わなかった私がドイツ語を上達させた秘訣~出会いが私にもたらしてくれたボーナス
ドイツを離れて今一時的に古巣の(?)デンマークに住んでいる私ですが、
友人と喋ってて"Exactly!"(そのとおり!)と言おうとしたら勢いで"Genau!"と思わず言ってしまう事が割とよくあります。
別にドイツかぶれしてるわけじゃなくて、ほんとに勝手に出てくるんです(笑)
それくらい私の中でドイツ語は身近なものになりました。
タイトル通り、語学学校に全く通わなかったこの私が!
ベルリンはドイツ語を勉強するのに最も適さない都市の一つだと思います。(日本人にとってはデュッセルドルフもかな。)
なぜなら、みーーーーーんな英語喋れるから!
それだけじゃなく、英語を喋る事が容認されるムードがあるんです。
他の都市だと、ドイツ語を喋らなきゃというムードの方が強いのではないかと思いますが、ベルリンは外国人居住者の数がダントツに大きい国際都市。人口の半分ぐらいは外国人なんじゃないかと誰か言ってました。
ほんとかどうかはさておき、それぐらいの勢いで多くの人が英語を日常的に喋ってます。すれ違う人から聞こえる会話が英語だった、というのもほぼ毎日でした。
加えて世界中からの観光客も多いので、ベルリンの住民も英語には慣れている、と言った感じです。
私もはじめは正直そんなに真剣にドイツ語に取り組むつもりはありませんでした。
実際、生き残るためだけならドイツ語分からなくても全然大丈夫でしたし。
でも、生き残るより1ステップ上のこと、いわゆる文化的生活を営みたいと思った時にドイツ語の壁が立ちふさがりました。
面白そうと思ったイベントのお知らせが全部ドイツ語だったり、興味がある事に惹かれていった先にはドイツ語でないと無理ーという事が起こったり。
実際のところは、飛び込んでいけば英語でも対応してくれるのかもしれなかったのですが、引っ越して間もなくエネルギーが枯渇していた当時の私には無理でした。
こうしてドイツ語ができず、でも学校に通う予算も十分になく、細々と勉強しながら悶々とする日々が過ぎていきました。
けれど、今の私はドイツ語で買い物もできますし、簡単な意思疎通程度ならこなせます。
レベルでいうならA1修了しA2の途中程度かなと思います。
まぁ偉そうに誇るようなレベルではないですが、ほとんど会話なんてできなかった自分にとっては快挙です。
ではどうして私がここまでドイツ語を上達させることができたのでしょうか?
それは、ずばり、ドイツ語でコミュニケーションを取りたいと心から思ったからです。
そしてそう思わせてくれる人達や場所に出会ったからです。
私の場合、インターンシップ先の利用者さん達とスタッフです。
それまでは、ドイツ語ができなくても、オッケー英語で話そうかと切り替えてくれるドイツ人の優しさに甘えていた部分も大いにあったのですが、
Mosaikの利用者さん達はドイツ語で会話しかできません。スタッフもドイツ語しか話せない人、もしくは英語がそれほど上手ではない人が沢山いました(それでもスタッフ達は慣れない英語でなんとか私と会話しようとしてくれました。ほんと感謝の気持ちしかない)。
ドイツ語しか通じない環境、それを承知で受け入れていただいたインターンシップ。
はじめは結構大変でしたが、この大変さが私の大きなモチベーションとなりました。
あるシチュエーションに遭遇し、伝えたい言葉が見つからなかったその日、「なんて言えば良かったんだろう」という思いを抱えながら帰宅して、勉強に取り組みました。
調べてみると、意外と少し前に既に勉強したフレーズだったりする事が多々ありました。
そして次の日、施設で実践してみる。
「うまく伝わった、やった!」
この気持ちは私のモチベーションに繋がりました。
もっともっと利用者さん達と一緒に充実した時間を過ごしたい、そんな思いで側に寄り添い、
そこで新しいドイツ語を聞いて、またくやしさを抱えて、勉強して…
その繰り返しで、私のドイツ語はメキメキと上達していきました。
更に、利用者さん達に自分の言いたいことを伝えたいという気持ちが先走り、
不慣れでも間違いだらけでも、どんどんドイツ語を口にしていきました。
みんな私がドイツ語全然できないのは知っていたし、間違っていても何を間違えているのか自分でもあまりよく分かっていなかったので(笑)、良い意味で恐れることなくどんどんドイツ語を喋る事ができていたと思います。
素晴らしい事を彼らが成し遂げたら一緒に喜びたい。
いけない事をしている時は自分の口で注意して伝えたい。
感謝の気持ちは彼らにとって親しみのある言葉で伝えたい。
日々そんな思いで彼らと過ごしていました。
勉強して知識を蓄えるのはまだ難易度が低めです。
でも実践して、瞬発力を鍛えるのはこれはもう経験をどんどん積むしかないんだろうと思います。
その点、私はとても良い瞬発力を身に付ける事ができたと自負しています。
モチベーションを保つのが、なんの学習においても大変だと思います。
学校は、学習すると同時にモチベーションを強制する、ある意味効率的な手段だと思います。
けれど、もし学校に嫌々通っていたとしたら、あまり意味がなくなってしまう。
なぜなら、学習においてもっとも大切な事は「喜び」を感じる事だからです。
私は最高の形で喜びを感じられる学習の機会をいただきました。
Mosaikで出会った全ての人には、ほんと感謝の気持ちしかありません。
まとめに入りますと、
外国語を学ぶにあたって、その言語で「相手に自分の思いを伝えたい」と心から思える人と出会う事は、もっとも有効な手段なのかもしれません。
皆様にも豊かさと学びをもたらす出会いが沢山訪れますように。
アートセラピー見学
私が勤務していたインターンシップ先では、理学療法、アート療法、音楽療法が実践されており、それぞれ理学療法士、芸術療法士、音楽療法士が勤務しています。
理学療法はよく前職で利用者さんに連れ添って見学していましたが、アート療法、音楽療法の実践を見たことがありませんでした。
欧米圏では芸術療法、音楽療法ともに、正式な医療として認めらています。
それ以外の地域ではどうかは分かりませんが、少なくとも日本ではどちらかというとレクリエーション扱い。
うーん、、、なんだかなぁ。。。
これには、欧米圏は精神分析学の発祥の地であることも関係していると思います。
クライアントの心に潜む問題を探るために、音楽や芸術を媒介にする、というのが私の理解です。
日本もアート療法を!音楽療法を!という議論はここではしません。
今回はアートセラピー見学させてもらった時の話。
前からアートセラピーに関心を見せており、少し前に見学させてくれと勢いで乗り込んでいったとき、「うーん今日はちょっと...また今度ね!」と断られてしまったこともあり、
タイミングを見計らっていたのですが、
「今日はいいわよ!」とセラピストのニナが声をかけてくれたので、見学と相成りました。
まず入所してすぐ、様々なセラピーのお試し期間で利用者の興味関心・ニーズを探り、
利用者ごとに芸術、音楽、運動など、それぞれにスケジュールが組まれます。
音楽やエクササイズなど、場合によって複数名で行うものもありますが、ここでのアートセラピーはセラピストがクライアントと1対1のセッションを行うもの。
この日の利用者さんは1人で作業に取り組める人だったので、利用者さんが絵を描いている側でニナは私に沢山説明をしてくれました。
画材道具を一通り見せてくれた後、奥の方にしまってあった大きなファイリングされたものを取り出して見せてくれました。
それはこれまでのセッションで利用者さん達が描いてきた作品でした。
この絵を私に見せてくれながら、ニナはこの絵に込められたものについて語り始めました。
アートセラピーはただ絵を描いて楽しむためだけのものではありません。
レクリエーションを兼ねた目的もありますが、それだけではありません。
クライアントが生み出す作品を通じて、本人の内面、感情が現れます。
セラピストはそこに現れた表現を読み取り、クライアントが心に抱えているものを読み取っていきます。
つまり、アートを通じたカウンセリングです。
アート活動そのものよりも、心理学的知見が大きな比重を占めます。
カウンセリングなので、その場で創造されたものはセラピストとクライアントだけのものです。
セラピストによって外に持ち出されることは決してありません。個人情報と同じ扱いです。
もちろん、描くこと、作品をつくること自体から癒しを感じるセラピーでもあります。
ここでの利用者の多くは重い障害のゆえにほとんど常時誰かの見守りを必要とする方が沢山おられます。
常に誰かに見られている、多数の目にさらされている生活を余儀なくされているのです。
アートセラピーはほんのつかの間でも一人の世界に入って没頭できる時間の確保にもなります。
セラピストはセッションの間、クライアントのやることに特に指図をしません。
もしクライアントが何かを求めている様子を見せたら、何か提案したり作業へのアドバイスはします。
でも、クライアントが制作するものに一切手出しはしないし、たとえ何もやりたくないと言っても全然OKです。
また、ニナはクライアントの話を聞くだけに徹することもあるそうです。
利用者は先ほど述べたように常に誰かに観られている生活。自分のやる事成す事を家族や施設職員に大体知られている。
ニナは話を聞く人としての役割も果たし、クライアントにとって秘密を共有できる存在としての役割も果たす事がある、と言っていました。(もちろん、例えば虐待をにおわせるような重大な情報のようなものであれば、利用者の担当スタッフに確認を取ります)
制作活動を通じ何かを積み重ねる事を経験する事で、内面の精神的な解放や成長の手助けに繋がります。
例えば、あるクライアントは絵を描き始めると、ニナが止めなければいつまでも書き続けていたそうなのですが、
今では自分でいつ終えていいか決めれるようになったし、使いたい色も自分で決められるようになったそうです。
これも、制作活動を続け、自分で選択する意思決定の経験を積んだためです。些細な事ではあるかもしれませんが、成長の証です。
物事の理解をするのに時間がかかってしまう彼らにとって、現実世界はものすごいスピードで進んでいます。
せわしなく動いていく現実世界でクライアントは無視されがちな存在でもあります。
自分の意志を行使する機会を十分に得ることなく、ここまで来てしまったのはそのためです。
創造行為を通じて、自分の意思決定を行使する体験を積み重ねること。
それが自身にもつながるし、その成功体験が普段の生活へと還元されます。
生活行為もクリエイティブな行為と言えます。
赤ちゃんが食事をし始めたばかりのころ、食べ物で遊ぼうとするのも創造行為の1つです。
「自分」と「自分以外のなにか」を自覚する行為でもあります。
こんなケースもあったそうです。
とある利用者とのセッションで、水道のシンクに水を溜めて、それでひたすら触った感触を楽しむという遊びをしていたそうです。
色を水に加えてみると、クライアントの反応が変わりました。
また色を足してみる、または別の物体を浮かべてみる。その度に反応を見せます。
そうするうちに本人の内面から何かが沸き上がってきたのか涙を流し始めたそうです。
何がそうさせたのか、何を心に抱えていたのか、ニナには正確には計り知れない事だったそうですが、大事なのは感情を表に出した事。
このようにアートセラピーは必ずしも制作活動をするわけではなく、本人なりのクリエイティブな行為を実践する場でもあります。
絵画だけでなく、立体造形もするし、身体パフォーマンスもするそうです。
パフォーマンスは即興表現の1つ。クライアントからの反応にセラピストも身体表現で応えます。
彼らにとってプリミティブなコミュニケーションの手段のひとつでもあるのです。
ニナはとても情熱たっぷりに色んな事を伝えてくれ、私は少し圧倒されてしまいました。
彼女の優しさ、クライアントの可能性を引き出し、彼らの心に秘めたものにコンタクトしようとする真摯さ、芸術や心理学への知見の大きさ、何よりも彼女の心に秘めた情熱。
セッションを通じて色んなものを見てきたからこそ、なのだと思います。私の想像を絶する世界が広がっているようでした。
ニナは、アートセラピーは決して強制されるようなものではないこと、
何を表現しても許されるし、自分の恐れや怒りや悲しみを表現しても受け止めてもらえる環境である事なんだと言いました。
アートセラピーが持つ懐の広さ。話を聞いていて少し涙が出そうになりました。
自分が小さかった時に、ニナのような人が身近にいただろうか、と考えました。
残念ながら答えはノー。
このような優しさと広い心を持つ人の元で、自由な表現を許されていたら、少なくとも秘密を共有できていたなら、幼かった私の心はあそこまで傷つくことはなかったのかもしれない。
このような考えのもとで自由なマインドでいる事を許されているドイツという国が羨ましくなった。
自分に制限を課している自分だ。自分に自由な表現を許していく事。それが私の今の課題なのかもしれない。アートセラピーの世界に触れてそんなことを考えた。
異国の地で文化的バックグラウンドが当事者に影響を及ぼすケース
以前、インターンシップ先のスタッフと話をしていて、利用者さんの家庭背景の話になりました。
利用者さんの中には、完全な自立生活が難しくても、少しでも家族から自立するためにシェアハウスやケアホームのような場所に入居を選択する人もいます。
今回話に上がった人は、シェアハウスの入居を希望しているけど家族が拒否をしているためにそれが叶わないとのことでした。
かと言って家族が手厚くその人をケアしているかと言えばそうではなく、食事など最低限の生活行為だけ世話して後はほぼ放置状態に近いそうです。
あまり家庭状況が芳しくないようで、それが影響しているためか本人さんも精神的に不安定になりがちとのことでした。
ちなみにその方は知的・精神的ハンディキャップがありますが、サポートがあれば自立生活を送れるかただと、私の目から見てもそう思いました。
障害を持つ息子をほぼ顧みない家族が、なぜ彼を手元に置きたがるのか。
それは、彼を手放すと行政からの経済的支援がなくなるからです。
ドイツの制度では障害の度合いによって変わりますが、自宅で介護をする場合行政からお金がもらえます。特に障害が重いケースだと金額が1400ユーロほどなる人もいます。(肢体不自由、発話困難、腸瘻)
今回話に上がった方でも、まぁおそらく1000前後ほどの支援金を受け取っているだろうと察します。
悲しい事に実はそんな人は珍しいケースではなく、今のところでこの1か月の間、私が見聞きしただけでも3人はいました。
更に悲しい事に、本人さんの様子を見ていたらなんとなくその辺り察してしまいます。本人がいかに家庭で大切にされているかは普段の様子、身だしなみに自ずと現れるものです。
(別の言い方をすれば、突然身だしなみにふるまいに変化があれば、その人の家庭に何か異変が起こった可能性があります。本人の普段の様子はその家庭状況のバロメーターでもあるのです。)
更に興味深い事に、その3家庭全てトルコ系移民の家庭でした。
トルコ系、またはアラブ系の家庭は欧米圏の家庭に比べて文化的背景のためか非常に保守的です。
家庭のことには余所者には口出しをさせない。対外的なことを自分の家庭に受け入れるのに非常に抵抗を覚える家庭が多いようです。
家族にハンディキャップを抱えた人がいる場合、共倒れにならないためには行政サービスや福祉サービスに良いアクセスを持つことが重要です。
ただ、人によっては気持ちの面で簡単な事ではないことも理解できます。
ヘルパーや訪問看護(ドイツでも同様のサービスはあるとのこと)などは、家に上がってもらってケアをしてもらう必要があるため、他人を家に上げることになるのです。
なかなかオープンになれない人もいると思います。
私の前職でもそのような親御さんの意見を実際に聞いた事があります。
中東系の家庭は、家族間、親類間、またはおそらくコミュニティ内のつながりは深いけれども、それ以外のところからアウトサイダーを受け入れる事に抵抗を覚えるものなのだろうと推測しました。
また、男尊女卑の考えも強く残っているとのこと。
女が家庭を守るのは当たり前、表立ったこと、対外的な事は全て家長である父親の役割のようです。
とある利用者の方で30年ほどベルリンに住んでいるのに、いっさいドイツ語を喋ることができないお母さまを何人も知っていると、スタッフは言っていました。
家にいて、家事をするのが基本で外のことに一切関与する必要がない(またはさせてもらえない)、
またベルリンにはエリアによってトルコ系やアラブ系のコミュニティが非常に大きく、強く根付いています。ノイケルン辺りがそれに該当するでしょう。歩いてたらそこらじゅうにトルコ系、アラブ系のお店を見かけます。
そんなコミュニティがあれば、ドイツ語が話せなくても間違いなくベルリンで容易に暮らしていけます。
(ベルリンはある意味オープンで自由を許し過ぎているとそのスタッフは漏らしていました)
また、スタッフが年に一回家庭訪問をすることもあるそうなのですが、
とある家庭ではお父さんが男性スタッフばかりから話を聞こうとして、同席していた女性スタッフには口出しさせようとしなかったこともあるそうです。
その結果は容易に想像できるのですが、
まず、行政サービスや福祉サービスからのアクセスが悪くなります。
言語的ハンディキャップも関係していることは間違いないでしょう。日本でも在日外国人を巡って近年似たような問題があがってきています。
更に、そもそも家庭のことに外野に口出しさせようとしない家族の態度により、障害を抱えた本人が表に出る機会が減ってしまう。
「家にいればいいんだ、誰にも迷惑はかけていない」という考えの元、本人のQOLを無視した家庭環境となってしまう、、、
という流れのようでした。
これはトルコ系家庭に関わらず、日本でもドイツでも同じようなケースは間違いなく存在しています。実際日本でも似たようなケースを目にしたことがあります。
ただ、文化的背景がここまで障害を持つ当事者の生活に影響を及ぼしていたとは思わなかったので、驚きました。
話を聞いていたらほんの一昔前の日本のようだなとも思いました。
移民として外国に移住するに当たって、その土地の文化にある程度適応する必要があると話は締めくくられました。
また別の方の家庭は、トルコ系の家庭なのですが非常にオープンでその利用者の方のためのサービスをどんどん受け入れているそうです。
自分がどこの出身であろうと、その土地で生きていくためにはその国の言葉を使い、その国のサービスを十分利用し、その土地の人達と協力していかねばなりません。
それだけじゃなく、受け入れる側も受け入れる了承を出した以上のその責任を果たすべく、サービスのアクセスしやすさを向上しなければならないし、どこの出身であろうと平等に接する態度を持ち合わせなければなりません。(ベルリンはその役目を十分果たしていると思います)
結局、双方の努力なしには成り立たないよね、何事も。という結論となりました。
どのような文化的バックグラウンドや価値観を支持するか、これに絶対的正解なんて存在しないし、もちろんそんな事を誰かが指図される権利なんてない。
でも、自分の慣れ親しんだ国を離れ、異国の地に定住する事になったなら、現地のルールに従っていく必要がある。
もちろん、彼らは一切ルール違反なんて犯していない。でも、何事も自分たちで解決する、外部に対して閉ざした態度をとり続けるのは、どこか悲しいなと思ってしまったのです。
もちろん、そんな事わたしが彼らに指図なんてできない。でも、なんとなくこのままじゃいけないような気もする。でも、結局のところ他人を変えることなんてできない。
多くの人達がそんな思いを周囲で抱きながら30年ほどがあっというまに経過したのかもしれないなーなんて思います。
特に難民のように、「別に来たかったわけじゃないけど母国を離れざるを得なかった」という事情があると、精神的に余計に閉じてしまう人も多いかもしれません(みんなが必ずしもそうであるわけではありません。努力してオープンになろうとされてる方も多いと思います)
欠いているのは対話の場だったり、交流の場だったりする。
面白いイベントが開催される記事を見かけました。
案外足りなかったのはこういうシンプルな交流の場だったのかも。
応援しています!
支援者だけではどうしようもできないケースがあるのだという新たなケースを目にする機会でしたが、
移民、難民について考えるケースともなりました。
日本でももしかすると自分が知らない所でこのようなケースが存在しているのかもしれない。
自分のアンテナをこれからに向けてより敏感にすることができた機会でもありました。