Hurra! Hurra! Hurra!

デンマーク、ドイツ、アジアバックパッカーを経て感じた事や体験談を発信します。また自分の専門である障害者福祉に関連した発信もどんどんしていきます。

日本からデンマークを経てベルリンに来るまでのざっくりとしたあらまし

久しぶりの更新となってしまいました。

別で請け負った仕事が重なったり、

新しくバイトを始めたり、

デンマークにまた行ってきたり、

ベルリンの家のインターネット環境にトラブルがあったりと、

少しバタバタしておりました。

 

私はベルリンに来る前までデンマークのフォルケホイスコーレで半年間留学していました。

そろそろ、その辺りにも触れていきたいと思います。

 

辿った経緯としては、

2015年末に職場に離職の旨を伝える。

この時点ではドイツにワーホリに行く予定だったが、デンマークのフォルケホイスコーレのことを知り、そっちに興味が湧く。

フォルケホイスコーレについてリサーチ。

ノルウェー→1年行かねばならず、予算の関係上断念

スウェーデン→EU外の学生には学費がかかるようになったそうで断念

フィンランド→原則留学できない模様。

様々な情報を加味し、デンマークがよさそうであると思い、更に学びたかった音楽をメインに据えてるところ、プラス英語が通じる学校に絞り、学校の目星をつける

ドイツワーホリどうしようと思ったが、あらゆる国のドイツ大使館からワーホリビザ申請可能であることを知り、その方針でいくことにする。

学校に申し込み。(2016年3月頃)

ひとまず入学金を払った後に、また私のズルズル悩む悪い癖が発症。

あなた来るの来ないのどうすんのという催促が来て、意を固め残りの学費を払う(2016年8月)

学校から学生ビザ取得の書類が来る。(うちの学校はワーホリビザは不可だったため。学校によると思います。)

在日デンマーク大使館に面談の予約を取り、書類に必要項目を書き込む。

いざ代官山へ。デンマーク大使館にて面談済ませる。(2016年9月)

後日、北欧系大使館からのものとは思えないほどすげー日本的な茶封筒が届く。中には滞在許可在中。

日本でまだ在職中だったため、激務に追われながらバタバタでギリギリの準備をする。

2016年12月末、日本の職場を離れる。まもなく実家へ一旦引き上げる。

家族にも実はギリギリまで黙っていたが、意外にも驚かれなかった。まぁホイホイ海外旅行にも行ってたからだと思う。

2017年1月年明けに出発

トランジットの北京で搭乗直前に強烈な腹痛に襲われ、あまりの様子だったために搭乗拒否される。予定より数時間遅れでまずはフランクフルトに、そしてコペンハーゲンに到着。

コペンハーゲンに一泊した後、目的地の学校へ。

ユトランド半島南に位置するものすごい僻地であったため、片道5時間ほどかかる。(これがデンマークの交通網ってやつです)

降りる駅を間違え、出会った人に助けられながら、少し遅刻しながらも到着。

ついた早々、オリエンテーションでかなり激しいフォークダンスみたいなものをすることになり、疲労困憊の30歳の身体にヒーヒー鞭打ちながらも、妙なテンションと笑顔で乗り切る。

そんな感じで日々を過ごしながら、

ドイツのワーホリビザの申請開始。

大使館予約を1月の時点から取り始める(←遅いです。わたしホント腑抜けてました。うまく予約取れてほんとにラッキーでした。)

書類準備も同時進行

2月に在デンマークドイツ大使館へ面談へ。いざコペンハーゲンへ。

銀行の残高証明を日本の口座で持って行ったため、受理されず。

しかし、申請そのものは受理されたのでOK。急ぎでなくて良いから後でドイツかデンマークの銀行の残高の書類を送ってきなさいとのことだった。

友人にデンマークの銀行で働いている親族の方がおり、すんなり口座を開くことができた。ほんと感謝。

3月、31歳のバースデーを迎える。(ワーホリの年齢制限オーバー。オージー除いて他の国への選択肢は無くなる)

銀行の残高証明を送り、大使館からOKの連絡あり。

再度コペンハーゲンへ赴き、パスポートにビザを貼ってもらい、無事にビザゲットー!(4月)

実はデンマークの学校のエクスカーション行先がベルリンだった。

ベルリンは良いよーって周りの人たちも言ってたのもあり、学校修了後はひとまずベルリンに行ってみることに決める。

並行してアパート探し、すんなり見つかる。

デンマークのフォルケホイスコーレ、修了(6月末)

直ちにベルリンへ引っ越し

ベルリンに到着後、再びアパート探しに奮闘。なんとか見つかり、再度引っ越し(7月末)

ベルリンのトルコマーケットで買ったトムヤンクンラーメンを食べながらブログを書く日本人ここにあり(すげーインターナショナル)(9月半ば)

 

 

こんな感じです。

ここまで至るまで、いろんなことが起こったし、思うこともありました。

笑顔と涙にあふれた1年弱でした。

 

それぞれの詳しいことは随時記事にしていけたらと思います。

 

びせーぃす(Vi ses)