偶然は必然。私がデンマークのフォルケホイスコーレを選んだ経緯
前回、私がここまで辿った経緯のあらましのみを記事にしました。
hurrahurrahurra.hatenablog.com
これから少しずつ、それぞれの出来事にフォーカスしていきたいと思います。
今回はそもそもの始まりの、なぜデンマークのフォルケホイスコーレを選んだのかについて書きたいと思います。
まず、フォルケホイスコーレについて、皆さんご存知でしょうか??
非常に分かりやすい入門記事はこちらです。
Folkehø jskole(フォルケホイスコーレ)とは、北欧全土に広がる独特の成人教育機関であり、通常の公教育から独立し影響を受けない私立学校群です。
誤解を恐れずに言えば、日本の私立大学などが主催する「エクステンションセンター」や自治体や民間が主催する「カルチャーセンター」、「市民講座」が、寄宿制の学校になったようなものといえるかもしれません。
エクステンションセンターは大学主催のビジネス、カルチャーセンターは民間企業主催のビジネス、市民講座は自治体主催の市民サービスのイメージがありますが、フォルケホイスコーレは、北欧の歴史と文化を背景に生まれ、しっかりとした教育理念に裏打ちされているものであり、北欧の教育文化としてしっかり根付き、様々な影響力をもっています。(フォルケホイスコーレ入門より)
フォルケホイスコーレの特徴を説明すると次のようになります。
*入学資格:原則として17歳半以上であること(学校によっては18歳)
*入学試験:ありません。在学中も「試験」と名のつくものは基本的にはありません。外国人の場合、学校によっては比較的高いレベルの英語力もしくは現地語の能力が求められます。
*成績表:ありません。
*修了証・卒業証書:原則、ありません。資格もとれません。
*寄宿生活 滞在中は他の生徒と寝起きを共にし、教師も同じ敷地内に住まっていることが多いです。
*学費:授業料、寄宿料、食費(1日3食)、その他を含めて、1カ月10万円~15万円が目安。(2015年6月現在)
*科目:人文科学系、芸術・デザイン、体育スポーツを中心として、さまざまなことを学ぶことができます。
*学習期間:原則、最大10カ月(12週、16週、20週、24週などのコースがある。国、学校によって異なることもあります)。(フォルケホイスコーレ入門より)
なるほど!つまり18歳以上であれば誰でもどんな立場の人でも、実社会を離れて自分の興味があることに打ち込め、且つ仲間と共に集団生活を送りながら自分の在り方を考える機会を提供する、国から認められている学校機関ということです。
えー、こんなのどうやって見つけたのーって思うのですが、
これにも経緯があります。
私は20歳ごろから音楽を細々と続けていました。
当時は音楽の知識が無いに等しく、色々悔しい思いをしながら、周りの人の力と独学でなんとか知識と経験を身に付けてきました。
ただ、正規音楽教育を受けずにここまで来た事と、
仕事をしながらの生活で音楽がなんとなく自分の中で中途半端な存在になっていると感じるようになってきたこと、
特にここ数年、音楽と向き合うのが苦しい、でもやめられずにズルズルと引きずってる、という気持ちになってきたこと、
加えて30歳になるに当たって、ワーホリができる最後のチャンスだと思ったんですね。
仕事を通じて色々積み上げてきた自分の中の何かを一度崩してみたくなったんです。
それに合わせて、音楽もやめてしまおうって思ってた。
そうやってやめるって決めたけれど、音楽に対してずっとモヤモヤした思いはずっと消えずにいました。
それで、なんとなく、「音楽」「海外」「教育」ってググることが増えてきたんです。
そんな中で、とある方のスウェーデンのホイスコーレでの留学体験記を読んで、フォルケホイスコーレという存在が自分の中で濃厚になり、本格的にリサーチを始めました。
いろいろな記事を読んでいるとフォルケホイスコーレについて良いことづくめのことが書いてあるではないかー
となり、もうその頃には北欧のフォルケホイスコーレで音楽を学ぶことに決めていました。
今しっかり調べたらスウェーデンのホイスコーレ(スウェーデン語ではフォルクフーグスコーラ)でも良かったなと思うのですが、
なぜかフォルケホイスコーレのことを調べたらデンマークのものが真っ先に上がってきたのと、
入学試験を課せられないという点と、
予算と期間の関係で、
(ドイツのワーホリにも行きたかったので、例えば最低期間10か月のノルウェーは対象外となりました。魅力的な学校はあったのですが…)
デンマークに絞ってリサーチすると相成ったわけであります。
デンマークフォルケホイスコーレととスウェーデンのフォルクフーグスコーラについて良い記事見つけた
これ当時見つけてたらスウェーデンも検討してたなぁ。
ただ、いろんな情報を見て、スウェーデンは学費がかかると思いこんでいたのと(大学は確かに学費を課せられるようになったようです。ただ、フォルクフーグスコーラは違うようですね。情報過多に注意です!)、
英文での志望理由や入学試験が必要な学校もあると聞いたので、(私が行きたいと思った学校はそれに該当していました。)
当時激務追われていた状況を考えると、そういった認識が頭に中にあったためにスウェーデンは無意識に避けていたのだと思います。
でも、学校数はスウェーデンの方が多いのに、なぜデンマークのホイスコーレに行ってる人の体験記が圧倒的に多いのだろう…
と考えてみたのですが、
デンマークのIPCという学校に行ってる人が日本人で多かったからではないかと思いました。
インターナショナルスチューデントが中心の、公用語が英語とされている、フォルケホイスコーレの中でもやや異色の存在であると思います。
ここで、英語を学ぶために日本からも来られている方が多く、リサーチの結果、たくさんデンマークのホイスコーレの記事が上がってきたんだと思います。
少し話が脱線しました。
ただ、今になって思えば、スウェーデンに行くには、少しガチなモードにならねばならないと感じた一方で、
私の気持ち的に音楽に対してそこまでになれなかったのがあります。
自分と音楽の関係を見つめなおすという点で、デンマークほどのゆるさがちょうどいいなと感じて、デンマークのとある学校に決めました。
デンマークの学校を探すのに使ったサイトはこちらです。
英語でのリサーチになりますが、ここから先は英語漬けになるくらいがちょうど良いと思います。
(私はそれでもまだまだ足りなくて、向こうに行ってから本当に苦労しました。)
自分の学びたいジャンルから行きたい学校を絞れ、更に各学校のウェブサイトにアクセスできます。
そこで、自分のやりたい科目にどれだけその学校が注力しているのか、
学校は留学生受け入れOKか(受け入れに積極的でない場合はウェブサイトがデンマーク語のみの場合が多い)、
などをチェックし、更に学校を絞り、そこから選んでいったわけです。
最終的には、
わたしは今こうして修了した学校を選んだわけです。
正直行ってから後悔した部分もありますし、後になってこの学校を選んで良かった!と思った部分もあります。
自分がどんなキーワードでリサーチするのか、
日本語だけでなく、英語でリサーチしたり、更に現地の言葉、またはそのカタカナ表記でリサーチしていたら、また違った情報に巡り合えるかもしれない。
更にその時に自分がどんな状態だったか、
疲れてて気持ちに余裕がなかったり、時間が無くて焦っていて、見落としていたこともあるかもしれないし、
自分の中でピンと来て本当に偶然に良い情報と巡り合うこともあるかもしれない。(私はそうやってリサーチする中で見つけたブログが縁でとても素晴らしい音楽家の方と出会いました。)
カナダ、スウェーデン、ドイツと各国で修行され、今では日本で福祉と教育を通じて音楽が成し得る可能性を追求されています。
素晴らしいドラムを叩かれ、人柄もとても素敵な方です。文章も読み応えあり面白いです。
後悔したってしょうがないし、それが私の人生。
後悔は、学びに変えてしまえばいいんです。その後悔があるから、次にもっと良い選択ができる。今その後悔ができていること自体が貴重なことでもあるんだと思います。日本にずっといたままだと決して気付かなかったことだから。
結局、その瞬間ひとつひとつの選択は偶然であり、またその人の運命とも言える必然なのだと思います。
リサーチして、良い体験記を見つけたとしても、その人のような生き方ができるわけではない。
そんな当たり前のことに気づかされました。
はっきりと言えば、音楽を見据えたキャリア的にはわたしのフォルケホイスコーレ留学は失敗です。
あえて原因をあげるならば、日本からのリサーチでは見えなかった要因によるものと、私自身の気持ちによるものでした。
でも、そんなキャリアをはじめから自分が望んでいたのか、その時に自分がはっきりと意思を持っていなかったのが悪い。そもそも、そんな明確なキャリアが無かったからあの学校選ぶに至ったんです。
それに、本当にそれが自分の人生なのか?そうやって考えさせられました。
こうでなければならないと思い込んでいた状態から、悩むという状況に移行した。
それが私のフォルケホイスコーレ留学の結果です。
私はそれを喜んで受け入れます。今までの私は、周りに既に存在している型に自分をはめようと躍起になっていた。
でもそこから抜け出すことができました。学校での経験のおかげです。
そんなことよりも、自分が選んだ選択肢を通じて出会った人たちとのかけがえのない時間が今でも私の心を温めてくれる。
そっちの方が大切です。
そうやってかけがえのない仲間との時間を得る事、それこそがデンマーク発祥であるフォルケホイスコーレに行く一番の目的なのかもしれないですね。