無給でいいの!?それでも私が不満を抱かない理由
今ドイツの障害者施設にインターンシップに通っています。
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私が今通っているインターンシップはお給料が発生しません。
それを考慮してスケジュールは月~木、8:30~14:30の6時間です。
生活費を稼がなくてはならないので、今のところミニジョブで生活費を稼いでいます。
そんなわけで貧乏生活なのですが、インターンシップ先での待遇には今のところそれほど不満はありません。
無給である事の強み。それは割と好きなように行動できる事です。
私はドイツの福祉現場の体験及び文化的交流という名目で施設に通わせてもらっています。
なので、私自身に仕事上の成果はそれほど求められていないという事です。
え、いいのそれで!?と思うでしょう。
これは一見ネガティブに聞こえますし、サボる良い口実でもあります。
が!当然私はサボっていません。
かと言ってバタバタ忙しく動いているわけでもありませんが、決して携帯をいじる事だけはすまいと心に決めています。
何もすることがない時もありますが、しっかりみんなの動きを観察しているだけでも大きな発見があるし、日本で勤務していた時同様に何か起こったらいつでも動ける心づもりでいるしその姿勢はいつでも見せています。
何か自分にできることがあると思えばすぐ申し出るし、疑問に思った事はすぐに質問します。
スタッフが見落としているようなことや、手が回っていない時に手助けすることも割とよくあります。
もしこれに給料が発生して責任感が伴うならば、今の私のドイツ語能力ではとても対応できないし、責任を全うできないと思います。
なおかつ、責任が伴う=行動が制限されます。
今わたしは施設内で是非見学したいと思う事があればすかさず申し出ています。ドイツの施設で実際どのような事が行われているのかこの目で見る、というのは私の大きな目的のひとつなので、それが十分に果たせる環境で私は満足しています。
施設側からしたら、言葉が通じない外国人がとりあえず見学・体験に来ているだけ、という認識だと思います。
なのである程度の事は大目に見てもらえています。みんなとても良くしてくださっています。
そんな中で、どういう印象を持ってもらえるか、受け入れてもらえるかは自分次第だと思っています。ある意味、自分に対する試練だと捉えています。
良い意味で緊張感を持てますし、自分の介護やホスピタリティが言葉を超えてどれほど通じるのか、試す良い機会です。
そう思っていたある日、先日職員全体でクリスマスディナー(まぁ飲み会ですね)に招待されたのですが、
言葉の問題を考慮した上で考えたら、君は本当に良くやっているそうだね、とお言葉をいただきました。どうやら私が知らないところでそんなふうに言ってもらえていたようです。
自分的にはまだまだだなと思うし、ドイツ語もっと頑張らなきゃと思うし、色々思う事も無いわけじゃなかったですが、
なんだかんだ、自分はよくやっているんだなぁと久しぶりに自分を褒めてやりたくなりました。
けど、それはスタッフや利用者さん達、色んな人に支えてもらっているからなんだと心から思います。
縁があってこうやって巡り合った場所ですが、縁と人と人との繋がりってなんだか不思議でとても素晴らしいエネルギーを与えてくれるなぁと心から思った次第です。
そんなわけで、
なぜ私が無給でも不満を抱いていないか、
それは待遇の問題ではなく、今いる環境をどう過ごすか自分次第だと考えてそれを大いに享受しているためです。
きっと、例えばドイツ語がもっとできるようになるなど、自分の状況や周囲に変化があれば、待遇も自然な流れに見合ったものになるものなのだと思います。
それも自分次第だと思っています。
ただ、私は今のところ急いでいませんし、焦っていません。
今与えられた環境を心から楽しみたいと思っています。
ベルリン障害者施設でのインターンシップ開始~1か月経過
12月に入り、ベルリンもすっかり寒さが厳しくなり、クリスマスムードも盛り上がってきました。
寒くてどんよりするけど、ほっこりするライトアップやクリスマスの飾りつけを見るとなんだかワクワクする、そんな季節です。
今わたしはベルリンのとある障害者施設でインターンシップをしています。
10月に受け入れが決まり、11月からスタートし一か月が経ちました。
ちなみに無給です。
有給で一応希望を出していたのですが、やはり私のドイツ語能力の関係で受け入れ先が見つからず、無給ならば、と申し出ていただいたのが今の所です。
それを周囲の人に話すと、えー無いなーという反応も返ってくることもあるのですが、私は無給で大いに良かったと思っています。
その施設はベルリンにいくつも拠点を持つ法人の拠点のひとつです。
その中でも障害のレベルが重めの施設に今私は通っています。
7月にCVを出してから一向に返事が来ず、実はすでに諦めていました。
その時点で、ドイツ社会は当然のことながらドイツ語運用能力が求められるのだと痛感していたため、私の希望は通らないのだと認識に至ったためです。
特に介護分野では、利用者の方とのコミュニケーションおよび職員同士の情報共有が非常に重要なため、ドイツ語は必須です。
そんな中、なぜその施設が私を受け入れてくれたのか、疑問に思っていました。
決して理に適っていない、むしろ負担になるのではないか、と思っていたからです。
その質問をぶつけてみたら、次のような返事が返ってきました。
利用者の方の中には言葉を必要としなくても、十分にコミュニケーションが取れる人がいる。言葉の問題ではなく、心の問題だ。
更に、全く違った文化的バックグラウンドを持つ私を受け入れる事で、施設側にとっても学びになることを期待している。
という事でした。
ドイツ社会においては少し珍しい考え方を持つところだなと思いました。
ドイツで実際暮らしてみて、色んな事を見聞きするうちに、ドイツは実はなかなか保守的な国であると感じるものがあったためです。
ただ、ベルリンはドイツにおけるメルティングポット。少し特別なのかもしれませんが、一般的には、やはり保守的な所は多少なりともあると思います。
何はともあれ、それを聞いてとっても嬉しかったです。
自分にできる事はしっかり報いようと強く思いました。
(後になって、結構空回りしてしまってた事もあったなーと思いますが。日本とドイツの勤務態度はびっくりするほど真逆でした。)
そんな感じで、今は慣れないドイツ語に揉まれビシバシ鍛えられ、前よりずっとドイツ語ができるようになってきました。
と言ってもまだまだですが、ほぼゼロに近い状態から随分進歩したと思います。
一応3か月の約束としていますが、その辺り柔軟なのでいつまでいるかはまだ決めてません。
ひとまず残り2か月弱、しっかり経験して楽しみたいと思います~
チュース!
鬱になりかけて分かった事。まずは身体という乗り物のメンテナンスを!!
久々の更新となってしまいました。
それには理由があります。
先々月となる9月の中頃、鬱を発症しかけました。
幸い重篤になる前に気付いて対応したので、症状を引きずる事はなかったのですが、
精神的に落ち着かず不安を頻繁に感じる状態が続いていたので、なるべくストレスやプレッシャーを感じるようなことは避けるようにしていました。
ブログを書けなくなっていたのはそのためです。
「書かなきゃ」「更新しなきゃ」と思えば思う程、気持ちが追い込まれていくのを感じたので、敢えてブログの事は忘れるように努めていました。
今思えばそういう時期も必要だったと思っています。ちょうど自分を見失っていたので、ブログについてもまずは自分という立ち位置をはっきりさせる必要がありました。
なぜ私は鬱にかかり、どうやって抜け出したのか。
まず鬱についてはっきりさせておきたいのは、
鬱は意外と誰でもなり得る身近な症状です。
だって、私だってまさか自分が鬱になるなんて、と思いましたもん。そういうものからは一番縁のない人間だと思っていました。
上記のサイトの説明通り、
鬱は誰にでもかかり得るもので、(敢えて病気とは言いたくない。状態という言葉を使いたいと個人的に思う。)、その原因も様々です。
ここでは、私が個人的に体感して感じた事を記録します。
鬱になりかけた当時、9月中旬のベルリンは夏から秋に向けて急に気候が変化していた時期でした。
寒くなって、日もだんだんと短くなっていく。秋の切なさをここから感じるかもしれませんね(あの切なさも実は鬱の第一歩の心の変化なんじゃないかと密かに思ったりして)
更に私の住むアパートは1階の日当たりがかなり悪いところで、自分で意識して日を浴びにいかないと日光に当たることができないような場所です。
部屋の温度も低く、部屋で着込んでたまま外出たら外の方があったかい!という事も何度もありました。
身体を冷やしやすい&日の光を浴びない
この条件が揃いました。
更に私はこの時期、お金を節約しなきゃと思い、食費を抑えるようにしていました。
バイト(日本食カフェ)で食べれるまかない以外は質素に抑えるという生活をしており、バイトがない日は適当に食事を済ませるという事も頻繁でした。
ちょうどバイトが無い日が3~4日続き、お菓子を食べてたらご飯もういいやという日が続きました。
脳内神経伝達物質を形成する栄養素の元となる、きちんとした食事を欠いていた。
という条件が揃いました。
体調面では、鬱になる好条件がこうして揃ったわけです。
気持ちの面ではどうだったのか。
この時、ちょうど色々うまくいっていなかった時期+大切な人と離れ離れになって精神的なキツさがかなり来ていた時期で、
あまりオープンになれずに部屋で過ごす日も多いという状態でした。
加えてせっかくベルリンにいるのに楽しめていない自分を責め始めたんです。
きちんとできていない自分を卑下する⇔色んな「やらなきゃ」と思うプレッシャー
こうやって自分を責めるループが加速していきました。
結果どうなったか…
ちょうどメッセージのやり取りをしていた相手に向けて、ちょっと異常なほどの自己卑下とこれまで自分が経験した恨みつらみ(しかもその相手には全く関係ない)をテキストで打って送り始めたんです。
そうするうちに気持ちがどんどん落ち込んでいき、死にたくなるような絶望感と不安感がどんどん襲ってきました。
その相手もまた、鬱を経験した事がある人だったので理解ある対応をしてくれたのですが、相手の言った何気ない一言で、必要以上に大きなダメージを受け、私が大激怒して喧嘩別れしかける事態に。
(後にきちんと話をして和解しました)
絶望した気持ちでトイレに行き鏡を見ると、
自分とは思えないような顔をした人間がそこにはいました。
顔は土気色になり、頬がこけて、その割に目だけが異常にギラギラしている。
「あ、これはマズい」
と感じました。
そこでようやく冷静になり、ご飯をロクに食べていなかったことに気付きました。
ちょうど外出の用事がたまたまあったので、出先でお肉たっぷりのケバブを食べました。
するとあれ不思議、みるみる身体が幸福感で満たされていくのを感じました。
その次の日、近所の公園でパークヨガに参加しました。
じんわりと温かい日光の下で身体をストレッチしていくと、
身体がポカポカしてじんわり汗をかき、気持ちが嘘みたいにスッキリしていました。
こうして、わたしは鬱状態から抜け出したわけです。
ただ、心のダメージはまだ残っていて(これも身体のパターンかなと思うのですが)、
プレッシャーを与えて自分を責めるとまた不安感が襲ってきたので、自分の在り方を根本的に見つめなおさなければならなくなりました。
けれど、結果的には良かったと今では思っています。
私なりに思う鬱のメカニズム
身体と心のバランスは密接に影響し合っています。
どちらかが損なわれると、それはおのずと片方に影響を及ぼします。
今回の私の場合は、まずは身体のバランスを崩して、心のバランスも崩れるという流れでした。
けれど、案外鬱発症の大部分のパターンが身体から始まっているのではないかなと思うのです。
ストレス、環境の変化、季節の変わり目の気候の変化、
これらによって、睡眠不足、食事のバランスが崩れるなどがよく起こると思います。
また、肩こりがひどくなる、身体がガチガチになるのも大きな要因です。
実際私の身体はガチガチでしたし、鬱を経験した友人によるとその時受けた鍼治療がかなり良い効果をもたらしたと言ってました(ちなみにデンマーク人)
身体の循環が悪くなると、身体がしんどくなり、それ自体がまたストレスを生む。悪循環だと思います。
逆の現象が、マッサージを受けた時の爽快感だと思います。
更に、食事を適切に取らないと適切な脳内物質が生成されず、不足します。
薬は即効で脳内物質を補充する手段である
薬も食事も、即効性や由来が違うだけであって、元を辿れば同じです。
身体が鬱ウェルカム状態になってても、忙しくしていたり、何かする事があるうちはまだ大丈夫だと思います。
例えば急にオフが取れたりして何もする事がなくなって、精神的な落ち込みが心の中で目立ってきて、考え込みそれが心の大部分を占め始めると少し危険です。
私はその寸前でヤバイと気付いたと同時に身体の異常な感覚に気付きました。
食事を摂っていなかった事に気付いたのもその一部です。
食欲があまりなかったけど、わずかに感じられる食欲を頼りにお肉料理をしっかり食べると意外とお腹に入って気持ちが落ち着きました。まだ早い段階だったから良かったのかも。
まさか自分がなるとは思っていなかった鬱
誰でもなり得る、
逆に言えば、早い段階であれば誰でも簡単に改善できるものです。
本当に風邪をひいてしまうようなもので、更に言えばひどくなったら医者にかかり、肺炎など重篤になったら入院、みたいなものかなと思いました。
普段から気をつけておきたいこと、
ご飯をバランス良く食べる
量も問題よりも栄養素の問題かなと個人的に思います。私が鬱になりかけた時、まともにご飯を食べていなくて、あまり食欲ないからパンと甘いもので済ませていました。
アミノ酸、ビタミン、ミネラルが大切です。そのためにタンパク質と野菜、果物をしっかり取る必要があります。
更に特に女性は鉄分も不足しがちなので、そこも意識すると良いでしょう。鉄分にもヘム、非ヘムと2タイプあり、ヘムの方がヘモグロビン由来のもので吸収されやすいものです(赤身のお肉、レバーなど) 非ヘムはビタミンと一緒に摂取する事で吸収されやすくなります。
適度な運動やマッサージなどで新陳代謝を
筋肉の硬直と感情の抑え込みの関連について。なんか身をもって納得できます。
身体が凝ってガチガチに固まっているという事は、血流の循環が悪くなっているという事です。
適度に運動する事で新陳代謝が上がり、体調、気分ともに改善します。
私もそんなに運動好きじゃないのですが、日本にいた頃は仕事柄身体を良く使っていたのもあり筋肉はほどほどについていたし、マッサージにもよく通っていました。お風呂も大好きで半身浴は毎日していました。
こっちにきて運動量が減って、お風呂に浸かれず、肩凝りがひどくなりました。足湯をするようにしているのですが、気持ちが落ち込む前あたりからサボりがちでした。
ヨガがすごく良かったので、ヨガに通おうと画策中です。
それと、足湯も再開し、お気に入りのマッサージオイルで凝った箇所を寝る前にマッサージするようにすると、凝りもマシになりました。
心の問題なのか、身体の問題なのか
病は気からとは言いますが、私の意見では病は身体からです。
もちろん気持ちの問題で寝込む事もあります。
が、なぜ気持ちが落ち込むのかというと身体がうまく機能する状態ではないからです。
よく聞く例えでは、身体は自分の心にとっての乗り物であると聞きます。
運転手(心)がいくら運転する気満々でも、乗り物(身体)が調子が悪いとドライブできない。
逆に乗り物(身体)がメンテナンスばっちりでも、運転手(心)に問題があれば、安全運転できない。
身体と心は互いに作用し合っています。
心の問題は解決するのが非常に困難だと思います。
が、一方で身体の問題は心の問題よりもアプローチがしやすいです。
心の問題の解決に当たって、まずは身体の問題を解決する事が近道であると良く聞きますし、私も実感を伴って思います。
言い方を変えれば、心の風邪を負ってしまう前に身体の調子を整える事で心の風邪を防げるとも言えます。
私も含めてですが、多くの人がそれぞれ乗り越えたい心の中の何かを抱えておられると思います。
そのためには、何度も言いますが、身体のコンディションを整えることが必須です。
なんだかんだ健康第一ってことですね!
心の面でも悟った事はあるのですが、それはまた別記事にします。
私のように海外生活の中で心身のバランスを崩される方もおられるかもしれません。
私の体験談が誰かの役に立ちますように。