勇気を振り絞るという事

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ほぼ毎日目にする景色。

通っているインターンシップの通勤路の川沿いだ。

 

天気が良ければ芝生でゴロゴロしてる人がよくいる。

川沿いにはガチョウ達が餌を求めてよく人に群がっている。

ベルリンで人気ものになりたければ、是非オススメです。

 

帰り道にスーパーに寄る事も良くある。

前には意味の分からなかった表記が理解できるようになったし、レジでのやり取りもすっかり慣れた。

 

 

そうやって慣れなかった土地に慣れてきた頃、ふと昔関わっていた利用者さん達の事を思い出す。重い障害を抱えながら、それでも毎日楽しく生きていた。彼らのご家族や周囲の人たちも、直面する様々な問題に悩みながらもなんとか乗り越えて生きていた。悲壮感なんてカケラもなかった。

 

彼らの記憶が、今の施設での出会い、私自身の生活経験、一人一人が抱えるケースとリンクする。そして今関わっている人からも昔の記憶からも新たな気付きを得る事が最近よくある。

 

 

私がこうして慣れない外国の土地で出歩く事自体がもうすでに冒険だ。

慣れない頃にはそれすら感じる余裕なんて無かった。今こうして余裕が出てきたからこそ、振り返ってみて思う。 

 

身体面、精神面など様々なハンディキャップを抱えた彼らにとって、私達が普段何の気なしに歩く街はどう写っているのだろう。
重い障害を抱えた利用者さん達にとって、普通に街を出歩く事も私が外国で感じているほどのものすごい大冒険なのかもしれない。

 

昔彼らと一緒に過ごしていた時には、彼らがそんなすごい冒険を日々こなしているなんて気づきもしなかった。
抱えるハンディキャップゆえに、または育った環境がゆえに、常に守られた環境で育ってきた人が結構多い。

私たちの仕事は、利用者さん達をどんどん街に連れ出して、地域生活に溶け込ませる事だった。

 

 

彼らが感じてきた思い。

今になってそれがようやく理解できた。

 

海外に出てきて度々遭遇する読めない文字表記、予測不可能な人々の動き、どうしたら良いのかわからない自分の振る舞い、

どうしたらいいのか。どう思われているのか。何がいついきなり起こるのか分からない状況。

大袈裟かもしれないけど、海外生活に慣れていない人であればこれぐらいのプレッシャーを感じても無理がないと思う。

 

彼らにとって、近所の外出は海外旅行並みの出来事だ。

たとえ自分の国の、超地元の街であっても、普段外出慣れしていなければ、ただその辺のスーパーや公園に行くだけでも彼らにとっての周囲は膨大なハプニングの連続なのかもしれない。

 

 

 

慣れた心地よい環境に留まるのはすごく楽だ。何も心配しなくて済むし、何でも思った通りにできる。

自分の安全が一番保証される環境で心地よさを感じるのは、本能的なレベルから考えても当たり前の事。

生き物は自分が最もエネルギーを消費せずに済むやり方を本能的に選ぶものだと昔習った。

 

 

そこから一歩踏み出すのはすごく勇気がいる。

それがアマゾンの秘境に踏み入れようが、その辺のスーパーに買い物に行こうが、根本的には変わりない。

どこへ行こうとも、何をしようとも、どんな程度であろうと、自分にとって心地よい環境から飛び出してそんな冒険をする勇気を出す事自体が物凄い事なんだと思う。

 

私は、どこの誰であっても、その人がどんな立場で何をしようとも、一つ一つのその勇気を心の底から讃えたい。

すごい偉業であろうが、ほんの小さな出来事であろうが関係ない。

勇気を振り絞る事自体に本質的な違いは無いのだ。

その勇気の振り絞りの一つ一つの積み重ねが、人生を切り開いて行くという事なのだと思う。

 

そんなわけで、時々私も自分自身を讃えようと思う。

 

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結構頑張ってるんだぜ、お前さん!

 

特権意識をぶっ壊す〜私が抱いていたつまらないプライド

このクリスマスシーズンをデンマークで過ごし、前の学校の友達と再会したり、招かれたお友達のお家でのんびりと過ごしました。

 

ドイツからいきなりデンマークに移って、当たり前だけど街の雰囲気が全然違うのに改めて驚きます。 

デンマークは、悪い言い方をすればどんよりと、良い言い方をすればこじんまりと落ち着いた国です。

 

その滞在中に友達何人かと日本スタイルのラーメン屋に行きました。

日本のラーメンと言えば、いまや世界各地で展開されている日本食文化のひとつ。各地でお店が展開され、そこそこ人気を博しています。

がしかし、友達の一人は、食べたことなかったからトライしてみたけどこれは自分には合わないわと言って食べきれませんでした。

世界で人気だからと言って、誰にでも受け入れられるわけではないんだなと、改めて文化の違いを感じた瞬間でした。(元々好き嫌いが多い子ではありましたが)  

 

 

私がヨーロッパに来てもうすぐ一年が経とうとしています。

こっちに来てからの一年をぼんやりと思い返していて、ハッと気付いた事がありました。

 

ハッキリ言えば、私は日本人である事にタカをくくっていたんです。

 

以前滞在したニューヨークでは、たまたまその時ジャパニーズカルチャーブームだったのと、旅行で海外を訪れる度に日本人であることを割と珍しがられたのと、

昔からある世界における「日本人」や「日本ブランド」のイメージや信頼が高いのと(これはある意味本当だと思います)、
親日的な友達が周辺に多かったことと、

 

これらの経験から、自分は日本人だからどこに行っても割と受け入れられるだろうみたいな、

妙なナショナリズムみたいな意識を持っていたんです。


自分は日本人なんだ(ドヤ顔)、みたいな。
別の言い方をすれば、特権意識、特別感というものでしょう。

 

でもそうじゃなかった。
はじめは珍しがられても、日々を過ごしていくうちに、出身関わらず平等な扱いになる。
当然日本文化に全く興味がない人、日本がどこなのかさえ知らない人だっている。
日本でなくても、どこの国に対しても平等である事。

 

 

そんな当たり前の事に気付いた時、とても恥ずかしくなりました
自分はなんて奢っていたんだと。
自分が一番だという意識がずっとどこかにあったんです。
もちろん自分の生まれ育った国だし、馴染んだ文化なんだから一番親しみを感じるのは当然です。
でもだからと言って、世界の誰もに受け入れられるわけではない。ラーメンを食べられなかったあの子のように。

自分の国の文化の話をしても、ふーんと塩対応される事だってザラです。(もちろん話を興味深く聞いてくれる人もいます。これはもはや相手の性格の問題ですね)

 

 

どの文化だって素晴らしいし、とても面白い。
自分はそのバリエーションの一つにしか過ぎないんだと。

それに気付いただけでも、日本という名の小さな島国から遠路はるばる出てきた大きな収穫です。
自分の奢っていたつまらん特権意識をぶっ壊す事ができました。

 

 

日本は本当に、世界の小さな島国の一つに過ぎない。

昔は確かに一際世界で目立っていた時期もあったと思いますが、今は本当に世界のただの小さな国の一つ、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

 

 

ひとつ言えるのは、自分がその土地にいる以上、その国の文化が一番のプライオリティになる。郷に入り郷に従えとは良く言ったものです。


新しい文化に飛び込んで、受け入れてみて味わって咀嚼してから取捨選択していく。
それが海外に住む醍醐味だとも思うし、大切な態度だと思うのです。

無給でいいの!?それでも私が不満を抱かない理由

今ドイツの障害者施設にインターンシップに通っています。

 

hurrahurrahurra.hatenablog.com

 

 

 私が今通っているインターンシップはお給料が発生しません。

それを考慮してスケジュールは月~木、8:30~14:30の6時間です。

生活費を稼がなくてはならないので、今のところミニジョブで生活費を稼いでいます。

 

そんなわけで貧乏生活なのですが、インターンシップ先での待遇には今のところそれほど不満はありません。

 

 

無給である事の強み。それは割と好きなように行動できる事です。

私はドイツの福祉現場の体験及び文化的交流という名目で施設に通わせてもらっています。

なので、私自身に仕事上の成果はそれほど求められていないという事です。

え、いいのそれで!?と思うでしょう。

これは一見ネガティブに聞こえますし、サボる良い口実でもあります。

 

が!当然私はサボっていません。

かと言ってバタバタ忙しく動いているわけでもありませんが、決して携帯をいじる事だけはすまいと心に決めています。

何もすることがない時もありますが、しっかりみんなの動きを観察しているだけでも大きな発見があるし、日本で勤務していた時同様に何か起こったらいつでも動ける心づもりでいるしその姿勢はいつでも見せています。

何か自分にできることがあると思えばすぐ申し出るし、疑問に思った事はすぐに質問します。

スタッフが見落としているようなことや、手が回っていない時に手助けすることも割とよくあります。

 

もしこれに給料が発生して責任感が伴うならば、今の私のドイツ語能力ではとても対応できないし、責任を全うできないと思います。

なおかつ、責任が伴う=行動が制限されます。

今わたしは施設内で是非見学したいと思う事があればすかさず申し出ています。ドイツの施設で実際どのような事が行われているのかこの目で見る、というのは私の大きな目的のひとつなので、それが十分に果たせる環境で私は満足しています。

 

施設側からしたら、言葉が通じない外国人がとりあえず見学・体験に来ているだけ、という認識だと思います。

なのである程度の事は大目に見てもらえています。みんなとても良くしてくださっています。

そんな中で、どういう印象を持ってもらえるか、受け入れてもらえるかは自分次第だと思っています。ある意味、自分に対する試練だと捉えています。

良い意味で緊張感を持てますし、自分の介護やホスピタリティが言葉を超えてどれほど通じるのか、試す良い機会です。

 

そう思っていたある日、先日職員全体でクリスマスディナー(まぁ飲み会ですね)に招待されたのですが、

言葉の問題を考慮した上で考えたら、君は本当に良くやっているそうだね、とお言葉をいただきました。どうやら私が知らないところでそんなふうに言ってもらえていたようです。

 

自分的にはまだまだだなと思うし、ドイツ語もっと頑張らなきゃと思うし、色々思う事も無いわけじゃなかったですが、

なんだかんだ、自分はよくやっているんだなぁと久しぶりに自分を褒めてやりたくなりました。

 

けど、それはスタッフや利用者さん達、色んな人に支えてもらっているからなんだと心から思います。

縁があってこうやって巡り合った場所ですが、縁と人と人との繋がりってなんだか不思議でとても素晴らしいエネルギーを与えてくれるなぁと心から思った次第です。

 

そんなわけで、

なぜ私が無給でも不満を抱いていないか、

それは待遇の問題ではなく、今いる環境をどう過ごすか自分次第だと考えてそれを大いに享受しているためです。

 

きっと、例えばドイツ語がもっとできるようになるなど、自分の状況や周囲に変化があれば、待遇も自然な流れに見合ったものになるものなのだと思います。

それも自分次第だと思っています。

ただ、私は今のところ急いでいませんし、焦っていません。

今与えられた環境を心から楽しみたいと思っています。