Hurra! Hurra! Hurra!

デンマーク、ドイツ、アジアバックパッカーを経て感じた事や体験談を発信します。また自分の専門である障害者福祉に関連した発信もどんどんしていきます。

おっさんがスカートを履く国ケラーラ〜安上がり寄り道紀行

デコトラバスに揺られ、ついに目的地へ!

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到着したのは小さなバスターミナル。

さすが観光地。普通の公共バスだけじゃなくたくさんのデコバスが往来しています。

そこそこ綺麗なデリやレストランもある。ふむふむ。

 

この時点で夕方遅く、事情があってクリニックには行けなかったので、この日は周辺で一泊する事に。

アポなし宿探し初めてだ。。。

 

GoogleマップやBooking.comを駆使して、なんとかシングルで800ルピーの宿を見つけました。

ちょっと不気味な雰囲気でしたが、オーナーと喋って怪しげな感じはしなかったのでまぁいっかと決めました。(別にフレンドリーではなかったけど、実直さは感じた。)

 

まだ外は明るかったので、近くのお寺を見に行ってみる事に。

 

観光客がたくさん!!!

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日本でいう金毘羅さん参りみたいな雰囲気を感じます。

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お寺で真剣に祈る人々。

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ヒンドゥー教ってこの国の人々にとってすごく意味があるものなんだなぁ…と真剣に祈る人達を見て、しみじみと思いました。そんな人達の中において私は結局ストレンジャーだなと思わざるを得なかった。

 

20歳ぐらいの時、友人に連れられてNYの教会のミサを見に行ったことがあるんですが、神の愛に心から感激して涙を流している人を沢山目にして衝撃を受けたのを覚えています。

友人は日本人でクリスチャンだったのですが、彼も神の愛に感激して涙を流していた一人でした。今ならそんなの国籍関係ないって思うのですが、当時はまだ分かっていない事が多すぎて若かった。

だから、自分と同じ日本人という属性の彼が、自分には理解できないもののために深く感激して涙を流していた事に大きな衝撃を受けたし、自分には分かっていない事がまだまだあまりにも多すぎるんだというのをどこか痛感した出来事でもありました。

あの時の体験により「宗教」というものを存在を意識するようになり、以降私の思考に大きな影響を与えました。

 

インド舞踊のステージも。

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そして、ずっと気になってた事。

 

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おっさんが軒並み揃ってスカート履いてる。

しかもロングスカートの裾をたくし上げて膝丈バルーンスカートみたいにしてる人もいる。

 

おっさんだけじゃなくって、若いにーちゃんも履いてる。

でもおっさんのイメージが強烈すぎる。。。

 

あのスカートの下にパンツは履いてるんだろうか、いやここはインドだぞ、そんなの履いてるもんか

という事は…

考えるの止めときましょうw

 

ググってみた。

「ルンギ」という南インドの男性定番ファッションらしい。

 

flowsha.blogspot.com

 

おっさんがスカートを履く国、ケラーラ。

でも、涼しくて楽そうだなぁ、いいなぁ、やっぱ民俗衣装って気候に適してるんだなぁ、とか考えながら寺を後にしました。

 

 

帰り道にフルーツ屋さんで買い物したら、お釣りを返したもらえなかった、、、うがー!!!(怒)

量り売りのお見せで、「15ルピーと30ルピー!合計45ルピーね!」と言われたので、10ルピーのお釣りが欲しいので55ルピー渡すと、お釣りが返ってこない、、、

あれ?お釣りは?って聞くと、いやいや、あれは55ルピーだったんだよって。アンタ私の目の前でバッチリ値段確認したやないか!!

この時なぜか怒る事ができなくて、ニヤニヤするおっさん達に何も言えなかった。あー思い出しただけでムカつく!!!!

ケラーラに来てからちょっと油断してたけど、ここはインドなんだった。久しぶりにボラれた経験になりました。

 

悲しくなり、晩御飯食べてホテル帰ってふて寝しました。

明日を楽しみに。薄暗い不気味なホテルで一晩過ごしましたとさ。

 

明日はついに念願のアーユルヴェーダ

 

 

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生産性の奴隷となるか、「ともに生きる」か~NHKスペシャル「ともに生きる~障害者殺傷事件2年の記録~」鑑賞

あの凄惨な事件から二年。

まだ二年しか経っていないのか、とこうしてみると驚きます。

この二年の間に本当に色んな事が変わり、感覚的には五年経ったような気がしています。

物事や人々の認識を一気に変えてしまう、それほどの衝撃があの事件にはあったのかもしれません。 

 

www6.nhk.or.jp

NHKスペシャル「ともに生きる~障害者殺傷事件2年の記録~」鑑賞しました。

 

未だに頑なに主張を変えず、意思表示困難な重度障害者を「心失者」と自ら作り出した言葉で形容する被告。

それに対して「いいや、心を失くしてはいないよ。」と語るのは和光大学教授の最首悟(さいしゅさとる)氏。彼には重度の障害を持つ娘さんがおられます。

最首氏の投げかける言葉を軸に、あの事件以降2年間それぞれの人々の歩みを追うというものでした。

 

重い障害を持つ当事者は意思疎通が困難なために本人の意志は無視されがちです。そんなこれまでの個を重視せずに押さえつける管理型の支援から前進し、「見えにくかった本人の意思」を汲み取り丁寧に向き合っていこうとする周りの人達の働きかけを通じて、当事者が生き生きと感情の輝きを見せ始める過程を番組では見せてくれました。

まるで「心失者」という言葉を使う被告に向けて、「いいや、そんな事ないよ。見てごらん」と語りかけるように、最首氏の穏やかな語り口かのような優しい目線を感じました。

 

当事者と関わる事を通じて何かを感じ学び取ろうとする人達、

障害者の存在を「必要だ」と言い切り地域で共に働く場を作った人、

事件がきっかけで転職し障害者と向き合う事を選んだ人、

その場に当たり前にいる家族として愛おしい眼差しを娘に向ける最首夫婦、、、

「ともに生きる」事を実践する人々を映し出していました。

 

 

NHKスペシャルの番組内で、被告に接見した学生が「あの主張に引き込まれそうになるのを感じた」と述べていました。

植松被告の主張は、純粋に経済的観点から見たら「正しいのだろうか」。

「生産性の無い」障害者は生きるに値しないのか。

障害者は周りを不幸にしかしないのか。

日本経済において「生産性の無い人間は生きる価値が無いのか」

 

私も正直なところ、彼の言葉に引っ張られそうになる気持ちを理解できます。

 

私は前職で、障害を持つ方が通う生活介護施設で現場スタッフとして勤務していました。

特に重度の方向けの施設だったので、利用者のほとんどが障害区分6という障害の認定レベルが最も高い重度の障害を持つ方ばかり。私の感覚ではもはや障害区分6という括りを超えるのではないかと思うほどの重い障害を持つ方さえもいました。

一歩間違えればいとも簡単に命を失ってしまうような人も沢山おられました。

意思表示が困難な本人を前にして、「生き長らえているのは結局家族や周辺の者のエゴでは無いのだろうか」「本人やご家族もこんなに大変な思いをするのならいっそ楽になった方がいいのではないだろうか」と在職中自問自答する事も何度もありました。

 

日本には数多くの社会問題があり、予算が厳しい状況にあるのも分かっています。

あのような強い主張を前にし、更に多くの人が被告の意見に賛同しているのを見ると、支援者である私でさえ心が折れそうな気持ちを覚えました。いや、支援者として側で色々見てきたから尚更だったのかもしれません。

しかし、それと同時にその主張に対して決して譲れないものがあります。私の心をへし折られることはありません。

 

私は経済のプロではないですが、純粋に経済的観点から見れば彼の主張は「正しい」と言えるかもしれません。

しかし、彼の主張に基づいた経済活動を行なっていくとすると、「生産性が無い」という理由で切り捨てられる層がどんどん下から上に向けて厚みを増していくでしょう。

明日は我が身。いつ切り捨てられてもおかしくない。常に殺伐としながら追い立てられるように生産性を高めていかなければならなくなり、失敗が死を意味する時代が来るでしょう。

極端な表現を敢えてしましたが、「生産性の無い」人間の切り捨てを簡単に容認するとはそういう事です。

 

最近「生産性」を高める事がブームになっています。

「生産性」を高める事自体悪い事ではありません。むしろ必要な事です。

しかし、被告の言葉に引っ張られる人が多かったように、多くの人達が「生産性」の奴隷となっているように、私は時々感じます。

 

 

番組中で、「障害者は世の中に必要だ」と断言した人がいました。

私もその言葉に強く同意します。

 

ミヒャエルエンデの「モモ」という作品をご存知でしょうか。

モモ (岩波少年文庫(127))

モモ (岩波少年文庫(127))

 

作中で、モモはあまり物も言わない(挙動不審な)不思議な子供として描かれています。

でも、モモの家を訪ねて自分の悩みをモモに聞いてもらうと、なぜだか分からないけど元気が湧いてきて不思議と悩みが解決するのです。モモは悩みに特にコメントすることなく、ウンウンと聞いてるだけなのに。

 

モモの家を訪ねていたお友達は、どこかの大会社が配る怪しげなタバコを吸った事で、都会で稼ぐために仕事に熱中するようになり、モモの家を訪ねることもなくなります。

彼らは働く事で豊かになっては欲しいものを買って消費、更に消費するためにまた働き、また更に消費する、、といった終わりないループに陥り、心を殺し魂が死んだように働き続ける、、、

 

 

今私たちは社会において好きで消費がしたくて働いてるわけじゃなく、生産性を高めて働かないともう経済が回らないのは事実です。

先ほど述べたように生産性を高める事自体は悪いことではないし、私も生産性を高める事は好きです。

けれど、生産性が無い人を真っ向から否定する事は先程も述べたように自らに刃を向けるのと同じ事になりかねません。

 

だから、モモのように特に何も言わないけど話を聞いてくれるような存在が必要なのです。

ただ、そこにいるだけで周りの人が自然と優しくなるような存在。

生産性なんて関係なく、在るがままの自分を全肯定する事が人生のミッションであるような存在。

生産性なんてどーでもいいやガハハハーって笑い飛ばしたくなるような気持ちにさせてくれる存在。

私はそれが重い障害を持つ人達がこの世に存在するのに十分な理由だと思うのです。

それが彼らがこの世に生まれてきたミッションであり、彼らはメッセンジャーであると私は思っています。 

 

少なくとも、何かしらの理由があって生まれてきた以上、彼らを排除する事は決して現実的ではないし、障害者を見えない存在にする事は決してリアルではなくそんな社会はただの虚構に過ぎません。

 

 

「ともに生きる」事は難しいようで、実はとても簡単だと私は思うのです。

重い障害があろうとなかろうと、人間らしい「心」がそこに在るのだと気付くことができた瞬間、見えない壁が少しずつ崩れていくのかもしれません。

 

そのハードルを下げていく事がこれからの支援者の役目なのだと私は思っています。

 

 

希望を感じました。ともに生きましょう。

束の間の癒しーデコトラに揺られながらー~安上がり寄り道紀行

 念願のパンチャカルマを控え、ケラーラ州はThrissur(トゥリスル)に降り立った私。

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ここから、クリニックがあるGruvayur(グルブアーユル)という小さな町に向かいます。

聞いたことない!っていう方がほとんどだと思います。

が、どうやらインドではヒンドゥーのお寺で有名なちょっとした観光地らしい。

私がグルブアーユルに行くと言うと多くの人が、「グルブアーユルか!そうか、お寺に行くんだね!」みたいな反応をしていました。

 

実はクリニックの方から、タクシー出そうか?という申し出があったんです。

海外からの患者さん受け入れにも慣れてるみたいで、だいたいの人は最寄り空港のコーチン国際空港からタクシーを使ってくるみたい。

そりゃそうだよね、長距離走るけど2000ルピー(2600円くらい)で済むんなら、私だってタクシー使うと思います。

 

が、忘れてはいけない。

これは安上がり寄り道紀行なのだ!!

安上がり寄り道紀行はタクシー禁止です(←もうすでに何回か乗ったじゃん)

 

絶対地元の人が使うような交通機関が存在するはず!!

というのも、ムンバイの列車チケットカウンターのおっちゃんも、そして列車で出会ったあの素敵なご家族のパパさんも、トゥリスルからグルブアーユルまでバス沢山出てるよ!と言ってたのです。

あやしいインド人の言う事は信用できないですが、この二人は信用できると確信がありました。

 

例の素敵ファミリーも同じ駅で、更に私の行先のグルブアーユルも仕事の関係で良く行く場所とのことで、私の事をよく気にかけてくれました。

駅から出て、バス停はあっちの方向だよ、と教えてくれてから去っていきました。ありがとう素敵ファミリー。

 

言われた通りの方向へ向かうと、確かにバスがいっぱい走ってるし、バスターミナルもある。

途中怪しげなデコトラみたいなバスからにーちゃんが客寄せをしているのが見えたのですが、怪しいものには近づかないぞと無視して、バスターミナルへ入りました。

 

が、英語表記がない。。。!!

そうか、地元の人向けだから、まさか観光客来るなんて思わないよね。。。

 

カウンターに尋ねて、あっちだよと言われた方向のバスで、乗り込んでから尋ねる作戦開始。

どれも違うらしい。。。

えー、もうどうしようと思って、その辺のおっちゃんに尋ねると、違うこのバスターミナルじゃない!あの通りを走ってるバスに乗るんだ!と教えてくれました。

 

あの通りのバスって…

まさか、、、

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あのデコトラか!!!!

 

そう、私が怪しい危険因子だと思って無視したデコトラバスは、地元の人達に愛用されているバスだったのです。

 

 

 

どうやら観光会社によって運営されてるようです。

そりゃグーグルマップに出てこんわな。

 

うおーあのデコトラ乗るのも結構勇気いるなーって思ったのですが、

グルブアーユルと書いてあるバスを見つけて速攻乗り込みました。

外が暑すぎてもう四の五の言ってる場合じゃなかったですw

 

そしてデコトラ、中身も相当強烈です。

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ザ・インドって感じです

あーインド来たなぁ!!ってまさかこんな形で実感するとは思わなかったw

 

運賃は15ルピーでした。

添乗員のおっちゃんがお客さんのとこまで行って集金します。

20ルピー渡して、その場ですぐに5ルピー返ってこなかったので、「あ、お釣りちょろまかされたかな」って思ったのですが、お釣りの小銭が無かっただけのようでなんと5ルピー返ってきました。

たったこれだけの事でスーパー感動。

 

あの素敵ファミリー、バスの事教えてくれたおっちゃん(あの人も良い人でした)、そしてこの添乗員さん。。。。

なんだなんだケラーラ州!!!

ここはほんとにインドか!?いや、もはやインドではない!(反語)

 

緑豊かなケラーラ州。

インド南部はお金持ちの人が集まる土地で、人々の気質は穏やかだとは聞いていました。

まさかこれほどとは…

インドに疲弊していた時期に乗り込んだケラーラ州。人々の素朴な優しさに一気に癒されました。

 

緑生い茂る景色を眺めながら、束の間の安らぎを感じつつ、バスは目的地へ向けて走るのでした。

 

続く